ブライアン・クラース 訳・柴田裕之 東洋経済新報社 2025.9.23
読書日:2025.12.22
この世界はあまりにも複雑に絡んでおり、大切なことは気が付かないほんの小さなことだったり、全く関係ないと思われることだったりしているので、未来に何が起こるのかは予測するのは不可能だし、計画的に生きることも不可能なのだが、それでも生きていく意味はあり、生きていく方法はあると主張する本。
この本はちょっとした偶然で展開が大きく変わったり、命が救われたりという話がこれでもか、と述べられている。それは、あまりにちょっとしたことだったりするので、事前に感知することは不可能で、あとから思い返すと気がつくようなことだ。
命に関わるような劇的なことなら思い返しもするのだろうが、普段はそういう偶然の事が起きてもまったく気が付かないし、それどころか、わしらは身の回りに起きることを単純な因果関係に落とし込んで、物語化して、そうした小さなことは捨象してしまう。とくに一般法則のような形にまとめるときには、そのような偶然は、一回こっきりのこととして捨てられてしまう。
クラースは社会科学者なんだそうで、とくに社会科学では、すべて数値化して統計的に処理してしまうので、このような偶然はないものとされてしまう。しかし、クラースはこうした偶然の方が決定的に大切なのではないかという。(おまけに、社会科学における統計的に有意なはずの知見は、非常に再現性が低いのだから、なおさらなのである)。
このようなことは、複雑系の科学として研究もされており、とくにカオスの縁にいるようなときには、なんでもないことが原因で状態が大きく変わることがあることが知られている。この状態ではなにがラストストロー(最後の1本の藁)になるのかわからないのだ。
そしてわしらは、ついこのような不確実性が自分に与える影響について考えてしまうが、逆に自分が世界にどんな影響を与えているのか、理解できていない。自分がやったちょっとしたことが、知らないうちに世界に大きな影響を及ぼしているかもしれず、しかし、そのことはけっして自分では気が付かないのだ。
さらに、わしらはこの世界を制御しようとして、理想通りになるように最適化するが、そのようにすればするほど、そのような社会は不確実性に弱く、不安定になり、ちょっとしたことで大きな影響を受けてしまうのだという。
しかし、まあ、これらのことはとても良く知られたことであり、わしがこの本で知りたかったのは、そのような不確実な世界でどのように生きていけばいいのか、ということだ。この点について、クラースは何か有効な言葉を述べているのだろうか。
まず不確実性は悪いことばかりでないという。わしらは人生が制御可能でないことで不安に駆られるが、制御不可能であるから思いもかけない豊かな世界に出会えるのだという。また、自分が世界全体と複雑に関係しあっているという感覚は悪いものではないという。自分が複雑な世界の一部と理解できれば、謙虚にもなれるだろうという。
まあ、そうとも言える。しかし、それはこの世界に存在していることの感覚の話であって、生きていることの意味になるかもしれないが、どう行動すればいいか、という話ではない。行動についてはクラースはなんと言っているのであろうか。
そこでクラースは「探索」の重要さを指摘するのである。進化は遺伝子がランダムに変化した結果、起こるが、これはなにか有効な変化が偶然起きることを期待した探索とも言える。このような探索が、様々な生物の豊かな生態系を作り上げている。
遺伝子の探索と同じように、わしらも今ある何かをより精緻に制御することを目指すのではなく、新しいものを求めて世界を探索しなければいけない、というのだ。探索すれば、偶然の導きにより、なにか素晴らしいものに出会えるだろう。そしてなにか素晴らしいものに出会ったらそれを「活用」しなければいけない。ただし、同じ活用を続けてはいけない。それは精緻に制御しすぎることになるのだ。だから、またなにか新しいものを求めて探索に出かけなければいけない。そうやって「探索」と「活用」のバランスを保ちながらこれを繰り返せば、豊かな人生を築くことができるだろうという。
クラースは「探索」と「活用」をレストランに例えている。探索の結果、新しいレストランを試して、そのレストランが素晴らしかったら、それはよい偶然だ。素晴らしいレストランを見つけたら、そのレストランに通うことは間違いのないことであり、これが活用だ。しかし同じレストランにずっと通ってばかりでは変化がない。だから、また探索して新しいレストランを探すのだ。「探索」と「活用」はトレードオフであり、両者のバランスを取ることが重要だ、と。
しかし読んでいて、わしには、これが投資の話に聞こえて仕方がなかった。
銀行に貯金を預けているのは間違いのないことであり、よい活用だ。しかし銀行で貯金ばかりしていても仕方がないから、新しい投資先を探索して、偶然、素晴らしい投資先に出会えたらよいことだ。良い投資先を見つけたら、実際、そこに投資しなければいけない。しかし、同じところに投資し続けてもいけない。利益が出たらきちんと売ってお金に変えるのだ。そしてまた探索を続けなければいけない。
まあ、投資というのはもともと不確実性の中にチャンスを見つけることであるから、投資の心構えこそがこの世界に立ち向かう方法と言えるのかもしれない。ブラック・スワンという不確実性の親玉もいるのだから、まったく場違いな発想でもなさそうだ。
「君はなぜ学ばないのか」の田村さんによれば、人生とはすべて投資といっても過言じゃないのだそうだから、人生に投資の感覚を持ち込むことが、偶然を味方につける良い生き方だということになるのではないか。
ともあれ、素晴らしい投資先に恵まれたいな。偶然でいいからさ(笑)。
★★★★☆

