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個人投資家目線の読書録

成瀬は天下を取りにいく

宮島未奈 新潮社 2023.3.15
読書日:2025.11.7

(ネタバレあり。注意)

滋賀県大津市の成瀬あかりは、何をするにも普通の人と一味違う発想でスケールの大きい目標に臨み、それを淡々と実行し、周りのひともその一途さに引き込まれるお話。

わしはこの本の題名と表紙を見たときから、どんな作品か分かったような気がして、わしはあまり読もうと思わなかったのです。しかし、あまりにも評判が高いので、やっぱり気を取り直して図書館で予約しました。そして、たくさんの予約が入っていたので、半年以上待ってようやく読むことが出来たというわけです。

あまり気が進まなかったのは、この作品を読む前から、きっとわしの好きなあの作品に似ているに違いない、と感じたからです。それは「涼宮ハルヒの憂鬱」。わしは原作を最初は1巻目を読んですっかり感心し、京都アニメーションのアニメの方は録画して、それから数年間、全編通して何度も見た。

それで、わしは、どうもこの「成瀬」に「ハルヒ」と同じ匂いを感じて、同じ構成の小説に違いないと思っていたのです。きっと「成瀬」という作品は、宇宙人も、未来人も、超能力者も出てこない、「ハルヒ」に違いない、と。そして、読み終わってもその印象は変わりませんでした。

というわけで、ちょっと簡単に「成瀬」と「ハルヒ」を比べてみましょう。

「成瀬」も「ハルヒ」も、どちらも平凡な少女ではあり得ないスケールで物事を考えるひとたちです。成瀬は人間は寿命を二百歳まで延ばせると信じてるし、ハルヒは世界をできるのなら改変したいと考えているような人物です。

彼らは自分たちの基準で、物事を計画し、類まれな行動力で実行していきます。成瀬は、西武百貨店の閉店までの一ヶ月間、毎日テレビに映ろうとしたり、M-1グランプリでお笑いの頂点に立とうとしたり、けん玉の市の大会で優勝したりします。ハルヒは、宇宙人、未来人、超能力者などの世の中の不思議なものに出会うためにSOS団を結成し町をパトロールをする一方、学園祭のための映画を制作したり、野球大会で優勝しようとしたりします。(ふたりとも発想は壮大なのに、実際にやっていることは身近なことだというのが笑える)。

そして、ふたりとも周囲から自分がどんなふうに見られるかはまったく気にしません。

お話の語り手は、本人ではなくて、周りの平凡な人間です。語り手は彼らでなくてはいけません。彼らこそは、読者の代表だからです。物語の中心は、周囲のひとたちの戸惑いであり、戸惑いつつもいつしか主人公を受け入れるそんな人達でなければいけません。「成瀬」の場合は、語り手は変わっていきますが、一人目の島崎は自ら平凡な人間であると語っていまし、いっぽう「ハルヒ」の場合も語り手となるキョンも自分は平凡な人間であると最初に断って登場します。

まあ、なんというか、主人公自身は語り手にはなりにくい構造です。実際、主人公たちの頭の中は極めてシンプルで葛藤も少ないので、彼ら自身が語りでは、なかなかお話としては進めるのが辛いのです。ここはぜひ、周囲の戸惑う人たちからの視線が必要です。

というのが、おおまかな物語の構造なんですが、この二人にはもうひとつ大きな共通する特徴を持っています。ふたりとも、世界を変えようとしたり、世界に影響を与えようとしているわけですが、このような主人公はもう一つの重要な特徴を持っていなくてはいけません。皆さん、何だと思いますか。

それは、頭が良くて、運動神経も抜群でなければいけない、ということです。

どうしてそうでなくてはいけないかと言うと、このような計画を立てるような人間には、日常生活のあれこれの雑務にとらわれるようなことがあってはいけないからです。宿題もさっさと片付けられない程度の低い頭脳だったら、読者から、そのくらいの頭で世界は変えられないなと思われるでしょう。運動神経や美貌は必須ではないかもしれませんが、それが問題にならない程度には普通以上の方がいいでしょう。

そして、これはふたりとも未成年者だから付随する条件なのですが、彼らの家庭はけっしてお金に困っているような貧困であってはいけません。家庭が食費を削らなくてはいけないくらい貧乏だったりしたら、世界を変える前にそっちをなんとかしろよ、というふうになるでしょう。したがって、この設定はかなり必須です。

でも、そのような経済的な理由だけではありません。じつはもっと重要な理由があります。それはこのような主人公たちの家族にそもそも存在感があってもらっては困るのです。

主人公のふたりとも家族からは精神的にとっくに自立していて、しかも家族からは放任されている必要があります。いちいち主人公の計画に家族が干渉するようでは話は進みません。そして主人公に影響をあたえないように、家族は無個性で特徴がないのがよろしいのです。そういうわけで、どちらの作品でも、成瀬やハルヒの家族の存在感はきわめて希薄です。

ほらね、ふたつとも同じような構造を持っているでしょ? そういうわけで、わしにはどちらも基本的には同じ物語だと感じるわけです。

涼宮ハルヒの憂鬱」は世界系と呼ばれるSFにあたります。世界系とは、個人の思いと世界の運命が直結しているような物語のことです。言い方を変えれば、個人が世界へのショートカットを持っている、と言えるでしょう。そうであるなら、成瀬は世界系と同じ物語構造を持っているということで、「世界へのショートカットを持っていない世界系」と呼べるかもしれません。

このような成瀬のメンタリティは、現実の世界では「起業家」のメンタリティに近いかもしれません。起業家の中には、本気で世界を改変することを目指している者もいます。彼らこそ世界へのショートカットを持たない世界系なのかもしれません。そういうわけで、わしは成瀬が将来、何らかの企業や組織を興したとしても、きっと不思議には思わないでしょう。

まあ、こういう設定は、主人公たちが高校生だからって言う意味もある。たぶん次の巻では、成瀬は大学生になっているんじゃないのかな。そこからは物語の雰囲気が変わる可能性もあるから、念の為、続編も読んでみるかな。いちおう、予約はした。

★★★★☆

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