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個人投資家目線の読書録

言語オタクが友だちに700日間語り続けて引きずり込んだ言語沼

堀元見、水野太貴 あさ出版 2023.4.18
読書日:2025.10.14

言語学オタクの水野太貴が、理科系素人の堀元見を相手に言語関係の話を語り続けたYoutubeを書籍にした本。ただし中身はすべて新作なんだそうだ。

どんな分野でも極めれば底なしなんだろうけど、言語学は原理的にどう考えても底なし。だって言語について言語で説明すること自体が、自己言及のパラドックスとかゲーデル不完全性定理に当てはまっているはずだから。

言語の謎というのは、フェルマーの定理と似ているのだそうだ。

フェルマーの定理とは、「x^n + y^n = z^n を満たす3以上の自然数のnはない」というもので、その内容は誰でも理解できて、具体的な数値を入れて確認もできる。しかし、この定理がどうしてそうなっているのかを証明するのはとても難しい。

言語もそうで、2つの例文を見てどっちが正しい表現かをたいていの人は判断できる。しかし、どうしてそうなるのかを説明することは大変難しい、というのだ。

わしらは脳に日本語をインストールしていて、なんらかの処理をして正しい方を選ぶことができる。だが、どういう原理でそうやっているのかわからないブラックボックスなのである。

しかし、だからこそ、日本語話者なら誰でも言語学に参加可能というのが著者たちの主張で、参加のしきい値はたいへん低いからもっとたくさんのひとが言語沼にはまってほしいということらしい。

では、わしが面白いと思ったことをいくつか。

まずわしが面白いと思ったのは、「を」と「に」の使い分けのところかな。「山を登った」と「山に登った」はどちらも正しいが、わしらはそれを自然と使い分けているのだという。でも、これは、現代の言語学者でも、説明に窮する問題らしい。

いちおう、暫定なのかもしれないが、答えは書いてあって、「に」は単なる到達点で、一方、「を」は途中の経路や過程を含むんだそうだ。つまり、「を」の方には主体性があって、意志があるということらしい。

わかりやすいのは、「乱世を生きた」と「乱世に生きた」という表現では、「を」は積極的に生きたが、「に」はたまたま生まれた時代が乱世であったというだけで積極性はないのだという。

ほかに面白かったのは、日本語にオノマトペがたくさんある理由かな。英語にはほとんどオノマトペはないのだけれど、それは英語と日本語の戦略が異なるからだという。

日本語のオノマトペは副詞として作用する。たとえば、「ブラブラ歩く」というふうに。英語にはブラブラに直接対応する副詞はないが、代わりに単なるwalkではなく、ambleという動詞がある。これが「ブラブラ歩く」を意味している。つまり、日本語は動詞を簡単にして副詞を充実させているのに対して、英語は動詞を充実させているのだそうだ。これはそれぞれの言語の戦略の違いが現れているのだそうだ。

ということは、英語の上級者になりたければ、たくさんの微妙な動詞を覚えなければいけないということだ。大変だなあ。

というわけで、わしはそんなに言語沼にはまっているわけではないが、こういうのはたまに読むと面白い。

★★★★☆

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