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遺伝子は不滅である

リチャード・ドーキンス 訳・大田直子 早川書房 2025.7.20
読書日:2025.10.10

遺伝子中心主義者のリチャード・ドーキンスが、遺伝子は祖先の出来事が何重にも上書きされた古代の羊皮紙(パリンプセスト)のようなものだ、と主張する本。

チャード・ドーキンスは「利己的な遺伝子」で、遺伝子中心主義を鮮明にして、いまだにそれを貫いている。生物は単なる遺伝子の乗り物に過ぎないと言ったときには、その鮮烈なイメージにわしも驚いたものである。

ドーキンスはこの本でも、遺伝子は情報であり、情報は生物が死んでも伝えられるから、遺伝子は不滅なのだと主張する。普通、遺伝子はDNAの形で存在している。DNAは壊れやすいが、それを岩石にでも刻みつければ何億年でも持ちこたえられ、未来の生物学者がその情報を使ってその生物を復活させることも可能なのだと主張する。

しかしまあ、それは確かだけれど、情報として残る遺伝子もそれを運んでいるかに見える生物も、どっちも相手に依存しているから、どっちも大切なのは明らかなので、どっちが上かなんて考えることにあんまり意味がないよね。

この本でドーキンスが主張しているのは、遺伝子には過去の生物の歴史が書き込まれているので、遺伝子を見れば、過去の経緯が読み取れるというものだ。そしてそれは、まるで古代の羊皮紙に書かれた情報のようだというのである。

かつては羊皮紙というのは非常に貴重なものだったので、必要なくなった羊皮紙は文字をいったん消して、その上に上書きをして再利用していたのだという。それをパリンプセストという。しかし完全に消すことは不可能なので、見ようとすれば、隠れている文字も見ることができるのだ。

遺伝子でも同じことが起きていて、淘汰によって、もう使われなくなった遺伝子も残っているのだという。ただ使われなくなっただけなのだ。

例えば、人間は匂いに関する感度は非常に低い。しかし、かつて猿だった頃の人間は匂いに敏感だったはずだという。実際、匂いに関する遺伝子はまだ残っていて、スイッチが入りさえすればいつでも活用できるようになっているのだそうだ。活用しないのは、匂いの情報処理に脳の資源を割り振るメリットが、現在はないからなのだそうだ。

異なった種なのに似たような形態になる収斂進化も、遺伝子をみると、別々に進化したのだということがはっきりわかる。こうした遺伝子の完全解析を多くの種で行えば、そこに至る種の歴史がはっきり区別できるだろう。結局、それは異なった種が同じような淘汰圧力を受けているということだ。

しかし、ドーキンスの主張は種単位だけの話ではないのだ。結局、淘汰圧力を受けるのは個々の生物なので、遺伝子にはかつての先祖の一人ひとり(一匹一匹)の淘汰を受けた歴史が刻み込まれているのある。

例えば、ドーキンスは自分の身体にある遺伝子が母親由来のものと父親由来のもののがいつ分裂したかを調べて、6万年前に分裂したらしいことを確認している。個人の遺伝子の一つ一つに、過去の個人の受けた淘汰圧力が記録されているのだ。

そしてこれはある意味では、個々の遺伝子一つ一つの歴史だとも言える。遺伝子同士が淘汰の歴史を背負っていると言える。遺伝子にはもともとあった遺伝子が進化したものだけではなく、別の種から取り込んだものもある。たとえばそれはウイルスから得たものかもしれない。その遺伝子にとっては、種を乗り越えての生き残りの歴史だったと言える。そして、どの遺伝子も、乗り物である生物が存続するということに協力する場合にかぎり、淘汰を免れ存続を許される。ドーキンスはこれを遺伝子の垂直伝播と呼んでいる。逆に、協力をせずに害を与えるような場合、たとえば感染して患者を死なせるような遺伝子の場合を水平伝播と呼んで、この場合はその遺伝子はその種とともに生き残ることができない。

というようなことが、書かれているのだが、じつはこれだけの内容ならすぐにページが終わってしまう話である。そんなわけで、この本は生物の形態に関する話などがやたらたくさん書かれていて、それは興味深くないことはないのだが、かなり冗長で、読みすすめるのに苦労した。そんなわけで、あまり楽しい読書としては言えなかったなあ(苦笑)。

★★★☆☆

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