(ネタバレあり。注意)
この前、APAホテルに泊まる機会があって、大浴場でサウナしたあとに、暇だから部屋で無料の映画を見ていたんですね。「FALL―フォール」という映画で、女の子2人が昔のテレビ放送用の高さ600メートルの鉄塔に登るんだけど、はしごが崩れ落ちて先端部分に取り残されるというスリラー。
まあまあの作品で、そんなに不満はなかったんだけど、しかしですねえ、どうも気になるところがあって、それについて書こうと思うのです。それはわしがかねがねハリウッド系映画に感じていることなので。
それは勧善懲悪のコードです。どういうことかというと、死んでしまう人がいると、その人が罪を犯したから死んでしまうんだという、そういう意味付けを付け加えようとするんだよね。
このFALLという映画作品の人間関係ですが、主人公のベッキーと旦那はクライミングが趣味なんですが、旦那がクライミング中に落下してしまい亡くなってしまいます。ベッキーはそれ以来ふさぎ込んでしまい、親友のハンターが心配して鉄塔に登るチャレンジにベッキーを誘うんですね。
で、古い鉄塔なので登った後、梯子が外れて落下してしまい、鉄塔の先端に取り残されるわけです。それで、いろいろある中で、ベッキーは親友のハンターが自分の夫と不倫していたことに気がつきます。
さて、この映画、二人のうち一方が死んで一方が助かるのですが、これだけでどっちが死ぬのか分かるでしょう? まあ、ベッキーはそもそも主人公なので死ぬわけがないのですが、一方のハンターは姦淫の罪を犯しているわけで、これだけで「死んでよし」のラベルが付いてしまっているわけです。もちろんハンターは死んで、ベッキーが助かるわけです。
ベッキーはハンターが死んだあと、彼女の死体をうまく使って助かることになっていているので、彼女の死に脚本的な意味がないわけではありません。でも、だとしたら、ますます彼女の死にこの手の罪のラベルを貼ることに何の意味があるんだろうという気がするんです。罪を犯したというラベルを貼れば、ハンターの死に観客の納得も得られやすい、という計算が脚本家の頭に浮かんだのは間違いないんじゃないでしょうか。
わしが気に入らないのはこういう発想がはいる部分ですね。
この計算が働いていないはずがないというのは、立場を逆にしてしまえばすぐに気がつきます。ここで清純なベッキーが死んで、不倫をしていたハンターが助かるという展開は許されないでしょう。きっと観終わったあと観客はもやもやするでしょう。そして脚本家が観客をそんなもやもやした状態にしておくわけがないのです。ここはハンターに死んでもらうのが一番しっくりします。
で、わしは、そもそもこういうラベル貼りを止めたほうがいいと思うんですね。人間は道徳的によい人が生き残るという理由はありませんし、罪を犯したからといって死ぬわけでもありません。でもどうしてもハリウッド系脚本ではこの手の倫理的な発想が出てしまうんですね。
ハリウッド映画(とくにディズニー・アニメ)で悪役がやられるとき、こういう儀式がされるのをみたことがありませんか。悪役が「助けてくれ」と慈悲を請い、心優しい主人公はいったんは悪役を許す。しかし、次の瞬間、その悪役は「騙されたな」という感じで主人公に襲いかかり、そうなると主人公は遠慮なく悪役を倒す。殺すのはやはり罪が深いので、このような儀式が必要なのでしょう。
一方で、悪い人間が助かるには別の儀式が必要です。こういうとき悪役は、(できれば映画の最初の方で)こっそりいいことをするシーンを忍ばせておくのです。例えば捨てられていた可哀想な子猫を助けるとか。そうすれば、この悪役は罪はおかしているけど本当はいい人だということになり、助けてもオーケーということになるのです。これを「SAVE THE CATの法則」と言います。
こういうハリウッド風の脚本術って、どうも最近は流行らないような気がするんですよね。このへんにハリウッド映画不振の原因があるような気がしてしょうがありません。
日本では逆に、主人公も悪役も最後には仲良くなって、一緒に次の困難に立ち向かうというような展開が多いような気がしますね。これはこれでどうかと思うのですが、でもハリウッド風の倫理観よりはまだましなような気がします。逆にヨーロッパ系はその辺は妙に冷徹というか、リアルな展開に持っていく気がします。
まあ、ともかく、ハリウッド系の善悪のような2項対立に持っていくのが、たとえ子供向けでもあまりに安易すぎる気がするんですね。
(おまけ)
鉄塔の上に残されたベッキーとハンターだけど、クライミングしているんだったら、木に登ることもあったのではないのかな。枝のない木を上り下りするときに、一本のロープを木の幹に巻き付けて上ったり下りたりする技法があるのだけれど、それをまったく試そうともしなかったのは、わしてきにはなんとも解せなかった。まあ、ロッククライミングだけしか知らなかったら、そんなこと思いつかないかもしれませんが。そもそも脚本家は思いつかなかったのかしら?

