ヘタレ投資家ヘタレイヤンの読書録

個人投資家目線の読書録

歴史の大局を見渡す 人類の遺産の創造とその記録

ウィル・デュラント アリエル・デュラント 訳・小巻靖子 パンローリング 2017.2.3
読書日:2025.9.26

3400年にわたる人類の歴史には、一定の同じようなパターンを繰り返すという一面も持っており、そのようなパターンについてエッセイ形式で述べた本。

なんといいますか、古びない本というのはこのようなものを言うのでしょう。人類全体の歴史を対象にしているのですから、当たり前かもしれませんが、わしは途中まで、原著の出版年が1968年だということに気が付きませんでした。まるでつい最近の本のように読んでいたのです。ソ連がまだ崩壊していないという前提の話が出てきたので、ようやく気がついた次第です。

この本が投資関係のパンローリングから出版されているのも興味深いです。この世の中で投資家ぐらい、「歴史は繰り返す」あるいは「歴史は繰り返さないが韻を踏む」という格言に興味を持つ人種はいないのではないでしょうか。なにかが市場で起きると、投資家は過去を振り返ります。投資家は歴史の研究家でもあるのです。

読んでいると、この薄い170ページほどのエッセイに述べられていることの重要性に愕然とせずにはいられませんでした。述べられていることは言われてみればその通りのことばかりです。

たとえば「生物学と歴史」について述べていることは、人類も生物であり、他の生物と同じように競争しているということを強調しています。つまり食べるために相手を殺すということです。

協力することもありますが、それは協力したほうが相手に勝てるからです。協力している集団の中では個人はルールを守って悪行は行いませんが、その代わりに集団の方は敵対する相手に悪行の限りをつくします。その究極が国家で、戦争は国が食べていくための手段だとはっきり述べています。(念のためにいうと集団は善行もおこないます)。

我々が至高の価値と考える「自由と平等」もこの生物学的な性質の影響の支配下にあるといいます。自由と平等はお互いが敵同士のような関係で、一方が栄えると他方が滅びるといいます。自由があると不平等は拡大しがちで、一方、平等を確保しようとすれば自由を犠牲にするしかないのです。能力のある個人は自由を求めるもので、競争の結果、最後には能力があるものが世の中を意のままにします。一方、平等を求めれば、それは生物学的には死を意味するのだと言い切ります。

こういう状況が歴史的なパターンとして現れるというのであれば、もうこれは真実として受け入れるしかないということでしょう。平等はあきらめるしかなく、問題はどう再配分するかというだけです。

事実を受け入れることの大切さは、レイ・ダリオも繰り返し述べていることですし、わしらも受け入れなければいけないでしょう。

*** まとめ ****
(1)生物学と歴史
・人生は競争である。国家は食べるために戦争を行う
・人生は淘汰である。能力のあるものが自由を求め最後には意のままにする。平等はせいぜい裁判と教育機会にとどまる。
・生き物は数を増やしたほうが勝つ。教育が発展すると民度が高い層は子供を作らなくなる。すると、子供をたくさん生む民度の低い層が次の時代を作る。
(2)人種と歴史
文明の発生、興隆、崩壊はその人種とは関係なく、環境がよいところに文明が起こり、発展する。人種は新たな文明のお膳立てをするにすぎない。
(3)人の性質と歴史
新しいことを試す革新的な人は重要だが、保守的な人も重要。革新的なアイディアで定着するのは百にひとつで、保守的な人の反対は健全な試練である。
(4)モラルと歴史
モラルとは社会の規範である。ただし歴史に残るのはモラルを破った男女の話である。その影にはモラルを守ったたくさんの男女の話が隠れているが、退屈なので残らない。農業が始まってからのモラル(たとえば一夫一婦制)は現代では変わろうとしているが、それが良いことなのかどうか分からない。
(5)宗教と歴史
歴史家は宗教に敬意をはらう。どんな土地、時代でも宗教は機能し、不可欠なものに見える。歴史上、宗教は繰り返し復活する。そして厳格主義と快楽主義の時代が交互に現れる。貧困が存在する限り神は存在する。
(6)経済学と歴史
・歴史は経済だけでは動かない。経済的な利益が動機だとしても、結果は民衆の感情で決まる。
・お金を管理する人はすべてを管理するので、銀行家はいつの時代でも大きな力を持っている。銀行家はお金の価値は減っていくということを知っているので常に投資を考えており、これが力の源泉になっている。
・どんな経済システムでも生産性を高めるためには利益追求欲に訴えるしかなく、生産性の高い少数の人が評価される。したがって富の集中は避けられないが、やがて貧困層が多数派になり力を得て、富の再分配がおきる。この繰り返しになる。
(7)社会主義と歴史
(1960年代の出版当時における)社会主義と資本主義の闘いは、富の集中と分散を繰り返す歴史の一環に過ぎない。(この章には平等を意図した歴史上の社会主義的な動きが多数記載されており、興味深い。大抵は失敗している)
(8)政治と歴史
君主制は最も自然な政治形態で、普及の度合いと存続期間で比べればどの政治形態より勝る。これに対して民主政はときおり顔を出すに過ぎない。君主制は可も不可もない政治形態である。
・民主政は害が少なく益が多いが、誰にも知性が必要な最も難しい政治形態。現在の民主制も、大規模な軍事支出が必要な状況になれば、軍隊の規律に国民は屈するかもしれない。人種間や階級間で闘争が起きると国民は2つに分断される。富をうまく再分配しないと、言葉巧みに国民を安心させる人物が独裁者になるかもしれない。(1960年代の言葉とは思えないほど、いまの時代に説得力がある。)
(9)戦争と歴史
戦争は繰り返し起きていて、文明が発展しても民主制でもなくならない。歴史に残る3421年のうち、戦争がなかったのはわずか268年に過ぎない。人類がお互いに戦争をやめてまとまるときは、宇宙の他の惑星と戦争をするときかもしれない。
(10)発展と衰退
国は滅びる。しかし文明の遺産は受け継がれて、人類の遺産となる。
(11)進歩は本物か?
国もモラルも宗教も生まれては消える。我々の文明もいつか滅びるが、完全には滅びず遺産となる。進歩とは豊かな遺産を築いて、守り、伝え、使うこと。歴史とは遺産の創造とその記録である。

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