竹内洋 中央公論新社 2003.7.15
読書日:2025.9.16
かつて難しい本を読み議論するようなエリートの教養主義文化を作り上げたのは地方の田舎の出身のエリートたちで、1960年代以降に田舎が近代化していく中で教養主義が消えていったと主張する本。
こちらの本ですが、2003年というかなり昔の出版なのに、現在も図書館の予約が埋まっていて、わしも長いこと待たされました。それというのも超有名ボカロPの米津玄師さんが名著として紹介したからなのですね。近年、増刷を重ねているそうです。本って出版しているといつブームになるか分かったものではないですね。
というわけなのですが、この本を読んで一番意外だったのは、明治の終わりごろから大正、昭和の1960年代くらいまで、日本の教養文化を支えてきたのは、地方の田舎の農業をやっていた家の子弟だったってことです。都会の人たちではなかったのですね。
都会の中産階級の子弟たちは、医学や工学など実利的な方面に流れがちで、しかも余暇も充実していて、テニスやヨットなどのスポーツに明け暮れているわけです。つまり、リア充な人生を謳歌しているわけで、ことさら教養を積んでアイデンティティを確立する必要などはなかったわけです。
ところが、戦前の日本では田舎と都会の差というのは信じられないくらい大きくて、田舎の秀才たちは官製大学(私立大学には行かない(笑))に入学するために都会に出てきて衝撃を受けるわけです。こういう人たちはなぜか文学部などに多くて、将来的には学校の先生になるような人たちです(将来的にもお金をあまり稼げない界隈)。
こういう状況に置かれて、どこにアイデンティティを持つかですよね。ほとんどの人たちは田舎からの仕送りで暮らしているわけで、遊んで暮らすような生活は不可能ですから、都会の人たちと同じことをしようとしても無理です。すると自分たちの価値が学問的に優秀であるという思いがあるわけですから、そこを強調するしかないわけです。こうして難しい本を読んで人格を形成する(=アイデンティティを確立する)という発想が出てくるのですね。この本でも説明されていますが、これはドイツの都会の中産階級におけるビルディングス・ロマンとは発想とはちょっと違っていて、日本独特のものだそうです。
こうして、読まなければバカにされる本の一式というものが確立され、しかもいろんな知識を詰め込んだ総合雑誌というものが重宝されるわけです。文学部の学生は学部の中で一番貧乏なひとたちなのに、一番本代にお金を使う人達だったそうです。
こういう人たちがハマったのが共産主義というのは興味深いですね。共産主義って工業国の労働者ではなくてロシアとかの農業国で成功したという印象があるのですが、日本でも田舎の農業出身のエリートに特に感染したというところが、なんかパラレルな気がしますね。
というわけで、1970年頃にこうした教養主義の文化が消えていったのは、都会と田舎の文化が均質化して差がなくなってきて、このような教養主義文化を受け継ぐ人たちがいなくなったからなのです。
でも残滓は残っていたんじゃないかな。
わしは実家から通える地方国立大学で1980年代を過ごしましたが、ここは旧制高校の伝統を引き継いでいるところで、わしは文学部ではなくて工学部だったのに、吉本隆明の共同幻想論とか埴谷雄高(はにやゆたか)の死靈(しれい)を読んでいないとバカにする人がなぜかいました(笑)。まあ、1980年代までは、少し残っていたんですね。いまでは全く残っていないと思いますが。
なお、この本は社会学の本らしく、ブルデューが何度も引用されていました。
★★★★☆

