マイケル・キーン、ジョエル・スレムロッド 訳・中嶋由華 みすず書房 2025.1.16
読書日:2025.8.30
税金について、テーマごとに過去の事例を取り上げて、あるべき課税の仕方や未来の課税について述べた本。
そもそも国家が税金を取る意味とは何なのか、などという疑問もわしは思い浮かぶわけであるが、そういう根本的なところにはこの本は触れない。国はやらなければいけないことがあり、そのためにお金が必要だから課税する、というだけである。
ともあれ国家は誕生した古代から税金を取り立てて来たのである。この税金を取り立てる組織、税務とか国家歳入庁とかは、国家の根幹をなす組織として、軍隊に次ぐ大きな組織なのだそうだ。そして税金を取り立てる国の熱意はものすごく、納税者の税金を納めたくないという感情もとても強い。こうして、納税者と徴税人との戦いはありえないくらい創造的である。つまりこの本にはそういうエピソードがたくさん載っている。
たとえば窓税といって、窓の数で税金を取ったイギリスの例が出てくるが、この結果、窓の数を減らすために塞いだり、隣の部屋と窓を共用にしたりしたという。当然、屋内の環境が悪化したから、「神が与えてくれた光と空気に課税した」と非難されている。
税金は歴史的にも大きな転機になったものが多いが、そういうエピソードには意外なものがある。たとえば、アメリカの独立運動のきっかけとなった「ボストン・ティーパーティ事件」である。イギリスの課税に怒った市民が、イギリスのお茶を船から海に投げ込んだという事件である。これはイギリスがお茶に高い税金をかけたから市民が怒った……と思っていたが、なんと、じつはイギリスがお茶の税金を下げたから起きた事件なんだそうだ。これって、どゆこと?
じつはもともとお茶には高い税金がかけられていた。そのおかげで、アメリカの密輸業者たちが、密輸したお茶を売りさばいて大いに儲けていた。しかし当時の東インド会社はお茶の販売を増やす必要に迫られて、税率を下げた。するとアメリカ市民は東インド会社の正規品を買いもとめるようになり、儲からなくなった密輸業者が独立運動に急接近してイギリス産のお茶を海に投げ捨てた、というのである。「代表なくして課税なし」というのはほとんど言い訳である。減税が独立運動のきっかけになったなんて、まったく理解に苦しむが、実話なんだからしょうがない。(苦笑)
まあ、このようなエピソードもたくさん書いてあるのだが、実際には税金の話はかなり難しい。税金ならではの独特の概念があって、これがなかなか難しいのである。
たとえば「税の帰着」という話がある。これは税の最終的な負担者は誰か、という問題である。
例えばある商品に税をかけるとする。税金を納めるのは商品を売った業者である。しかし、実際に税を負担しているのはその商品を買った消費者だ、という話だ。ところが話はそこで終わらない。税金をかけることでこの商品の売れ行きが悪くなるとする。すると、その製造業者の業績が悪くなるので、従業員の給料が下がったり解雇されたりする。そうすると、その従業員も税金の一部を負担していると考えられる。などという、課税による連鎖が生じるので、最終的な負担者を特定するのは困難なのだ。
これが法人税となると、その帰着はさらに困難になる。法人というのは架空の存在なので、実際に負担しているのは会社に関係した実在の人間なのだが、それは株主(オーナー)なのか、従業員なのか、それとも消費者なのか。一見、オーナーのように思えるけど、法人が納税をするとそれは従業員の給与にも影響が及ぶのは間違いない。研究によれば、法人税が納めた税金のうち、労働者の負担率は、おおよそ4分の1(25%)程度ということになるらしい。しかし、その推定値は大きくバラけており、法人税の帰着の問題はいまだ闇の中だそうだ。
経済学の「レント」という概念についての理解も必要だ。レントとは「超過利得」という概念で、超過というくらいだから適正な利得以上の利得のようである。たとえば、ある土地を持っていたら人口が増えてきて、何もしていないのに土地の値段が上がって儲かった、というようなイメージだ。ようするにあぶく銭である。そういうレントには税金をかけても、あまり世間から非難は受けないのでよろしい。だが、このレントの算出方法もなかなか難しいのだ。たとえば企業の適正利得とはどこをさすのだろうか。あるときには事業を持続できる程度の利益だとされ、またあるときには経験的に8%の利得だとされているようで、かなり適当、というか恣意的というか、そもそもどうやって計算したらいいのか分からないようである。
「超過利得」と反対の概念が「超過負担」だ。じつはある税金をかけると、徴税した金額以上の悪影響を与えるのが普通である。先ほど例に上げた、ある商品に課税した場合では、課税した商品を製造していた労働者が解雇されたというのがそれで、こういうのを「超過負担」というのだ。税金をかけるときにはこのような超過負担をできるだけ少なくしたい。しかし、どうすればいいか、実は長い間分かっていなかったのだそうだ。
1947年にフランク・ラムジーという26歳で亡くなった天才が発表した論文で、「逆弾力性ルール」というのが提唱された。超過負担を最小にするには、税率の変化に対する反応がより少ない課税対象により高い税率をかければ良い、というものだ。典型的なものはタバコやアルコール製品で、タバコに高い税金をかけても、だったら甘いものを食べるからいいや、とはならない。タバコの代わりはない、つまり弾力性が低いのである。
実は、これが正しいことがわかるのに、50年かかったそうだ。この本には、21世紀に入ってから分かったという例がたくさん出てくる。どうも税の実証研究というのは、最近になってようやくきちんとされるようになったらしい。たぶんデータの電子化とコンピュータの発達のおかげだ。もう一つは、行動心理学の発達で人間の心理的な反応がよく分かるようになったからだ、たぶん。
さて、そうすると、超過負担が少なく、しかし課税範囲が広くてたくさん課税できるという税があるのだろうか。どうもVAT(付加価値税)がそれらしい。ヨーロッパなどで行われている間接税だ。(日本の消費税とほぼ同じ)。これはすべての商品に同じように税金がかかるせいか、別の製品を選択するとかの反応がおこりにくい。つまり、弾力性が低く、超過負担が最小になるということらしい。そしてその割に、得られる税収の規模は大きくなる。というわけで、著者たちに非常に高く評価されている。
同じように、所得税はどのように設計すればいいのだろうか。
所得税については、超過負担だけでなく累進課税率(稼得所得が高くなるにつれて税率が上がること)と限界税率(稼得所得の増分1ドルに対する税率)について理解する必要がある。ここには人の労働意欲をなるべく削がないという大切な問題もあるし、そしてもちろん公平性にも注意する必要がある。というわけで、正解を得るのは大変難しいのだが、いちおう、著者の中ではこういうふうなのでいいのではないかというイメージがあるそうだ。
まず、全員にまとまった額のベーシックインカムを給付する。また所得分布の下位レベルの限界税率を上げておく。そして稼ぐほど、限界税率が下がるようにする。つまり稼ぎの増え方に対して、税金の増え方が小さくなるようにする。このようにすると、納税後の手取りの増え方が急速に大きくなるので、稼ぎがいがあるというわけだ。中位レベルくらいまではこのようにして急速に手取りが増えるようにする。中位以上については実はあまり関係ないのだが、限界税率を増やした方が世間の感情と一致するだろうから、上位については所得が増えるほど限界税率が上がるような形にしてあまり稼ぎがいがないようにする。すると限界税率はU字型になるが、このようにするのがよいのだそうだ。(理解できましたか? わしはP303〜307を何度も読み返して、こう理解したが、間違っていたら申し訳ない。もうちょっとわかりやすく説明してくれないものだろうか)。
ともあれ、最新の税の専門家がベーシックインカムを推奨してくれていることは、大変心強い。わしはベーシックインカムは未来では必須と思っているので。
さて、もうひとつ、グローバル企業の国際的な脱税……ではないけど、税技術を駆使した節税スキームについても朗報が記されている。グローバル企業は税率の低い国でできるだけ税金を納めるというテクニックで節税をしている。有名なのは、グーグルの使っていた、「ダブルアイリッシュ・ダッチサンドウィッチ」という手法だ。
しかし、現在、国際的な税務に関する話し合いが急速に進んでいるという。どうやらデジタル課税に関しては、遠くない未来に、日本などの市場国にも課税権が与えられるような方向でまとまりそうだ。
さて、最初の方の「税の帰着」の問題に戻ろう。
「税の帰着」には最大の難問がある。国全体の税金の帰着の問題である。最終的に誰が払っているか分からないのだ。あまりに複雑すぎて、ある仮定のもとに推計しなければいけないが、その仮定の構成次第でどうとでも説明できてしまうので、参考程度にしかならないのだそうだ。
それはそうだろう。我々は税金を国に払っているけど、国も我々のためにお金を使っているので、ぐるぐる回っているから、最終的な行き場がないからだ。
結局、税の理論は、マネーに関する納税の部分でしか適用できないものだ。そして国の予算もマネーの一部でしかない。全体を見るときには、マネー全体を見なくてはいけないのだ。
というわけで、こちらもどうぞ。税とは何かというのは、本当に難しい問題だ。
★★★★☆

