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啓蒙の海賊たち あるいは実在したリバタリアの物語

デヴィッド・グレーバー 訳・酒井隆史 岩波書店 2025.4.23
読書日:2025.8.15

デヴィッド・グレーバーが西洋で啓蒙思想がヨーロッパで一般化するまえに、海賊たちがそれを実践して、マダガスカルに自分たちの理想の国を作っていたと主張する本。

デヴィッド・グレーバーは「万物の黎明」で西洋は自由の概念をアメリカの原住民から得たと主張していて、西洋がすべて自分たちで生み出していたわけではないということをしつこく語っている。そして今回は啓蒙思想である。啓蒙思想も外部からの刺激があったから生まれたと主張しているのだ。

啓蒙思想は単なる自由思想よりもまとまったもので、自由、平等、民主主義、といった内容を含んでいるぐらいに思っていただければいい。海賊たちはこれを持っていたのだそうだ。彼らはそもそも国家にも属していなかったから、まあ自由なわけだ。平等については、彼らは掠奪品は平等に分配していたんだそうだ。民主主義については、彼らは自分たちの船長を話し合いで決めていたから、議会や選挙のようなことをしていたわけだ。当然ながら、船長は役立たずなら辞めさせられただろう。海賊では船長と言っても全然偉くないわけだ。

(ということは、マンガのONE PIECEのあの、仲間になれ、的な雰囲気って、本当に本物の海賊の雰囲気そのものというわけなのか。いや、ONE PIECEほとんど読んでいないので、想像で言っていますが)

海賊がなかなか啓蒙的なのはわかった。しかしその舞台がマダガスカルというのがよくわからない。海賊ってやっぱりカリブ海でしょう? アメリカじゃん。一方マダガスカルは、カリブ海から大西洋を渡って、アフリカの喜望峰を回って、インド洋側にある島だ。大きさは日本の1.6倍もある。かなり大きい。そんなマダガスカルカリブ海の海賊がなぜいるのか?

海賊の起源は、イギリスやオランダ、フランスなどがスペインの力を削ぐために、スペイン戦から掠奪することを許可した私掠船(しりゃくせん)だったのだという。つまり最初は公式な存在だったのだ。ところが首尾よくスペインの力を削いで、自分たちのほうが力が強くなると、イギリスなどはこれらの私掠船を追い払ったのだ。こうして私掠船は国家のお墨付きを失い、海賊となる。そして海賊は国家から犯罪者として追われる身になる。

そのころスペインの力が衰えていたことからわかるように、アメリカからスペインへ向かう船のお宝の魅力は減っていた。イギリスなどの強国の圧力のせいでカリブ海ではやりにくくなっていたから、一部の海賊は、アジアから喜望峰を回ってヨーロッパに向かう船を襲ったほうが魅力的だったのだ。そのための拠点として、マダガスカルはうってつけだったのである。

海賊たちはマダガスカル北東の海岸地帯に拠点を築いた。海賊業は掠奪品をどう処分するのかが問題なので、そのようなサービス機能も整えた。そのようなサービスは女性たちが経営していたそうだ。そんなふうなので、海賊たちは地元民に歓迎されたらしい。けっこう地位の高い女性と結婚したりしている。(そしてその地域のエリートになったらしい)。

そうこうしているうちに、ヨーロッパに噂が広がったらしい。マダガスカルに通常の王国ではなく、平等で自由で民主的なリバタリアという海賊国家があるらしいと。「成功した海賊」という舞台も大成功を収めて、海賊の啓蒙的な考え方は一般に広がった。

では、このような海賊たちのマダガスカルの拠点は、本当に自由、平等、民主主義的に運営されていたのだろうか。

ほとんど記録が残っていないが、ニコラ・メイユールというフランス人が1806年ごろ「フルポワントとベツィミラサカの王ラツィミラフ伝」という文書を残している。これは、1712年から1720年にかけて、海賊たちのベツィミラサカ連合と地元のツィアク連合との間で起きた戦争を報告したもので、当時のことを記憶している人から1760年代に聞き取り調査をしたものをもとにまとめたものだ。

グレーバーはメイユールの記録の中から、啓蒙的な部分を拾いあげる。

例えばラツィミラフが話し合いの場である大カバリで海賊たちを説得して戦争を決意させ総指揮権を得るエピソードがある。マダガスカルの人びとはなにかあるとすぐにカバリを作って、いろいろな話をするのが好きなんだそうだ。つまり強権ではなくて会議によって権力を得ているわけだ。

そして、ラツィミラフは最終的に戦争に勝って王になるけれど、この新王は住民を組織化せず、官僚行政的な機構も整えた形跡がないという。考古学的にも、この国におけるヒエラルキーを示すものは発見されていないとする。また、誰もがカバリを招集して王の決定を覆してもよかったという制度もあった。つまりラツィミラフ王には絶対的な大きな権限がなかったということを主張している。

どうだろう。個人的にはなかったことや発見されていないことを理由にするのは、なかなか難しいように思えるが、まあ、確かにそういう可能性はある。

さらに平等だったと考えられる理由として、海賊たちのエリートの家系はザナマラタという貴族階級を形成していて、ベツィミラサカ連合の王であるラツィミラフの管轄外だった、ということをあげている。グレーバーは平等とは絶対的な存在に対抗する副次効果である、と主張している(少なくともマダガスカルでは)。なので、強力な貴族階級があるからかえってベツィミラサカ連合の中は平等化が進んだ、とグレーバーは主張するのである。

うーん、どうだろう。これも弱い気がするなあ。

個人的には大航海時代は、海の向こうにユートピアがあるかもしれない、という妄想を育てたから、自由・平等・民主主義の国だってあるかもしれないという夢を育てたのだろう。そしてそれが海賊たちと海賊の国に当てはめられたということはあるだろうと思う。確かに海賊の文化にはそういう部分があるようだから。でも実際の海賊国家にそれがあったかどうかは、この程度の資料ではなかなか難しいのでは。

まあ、グレーバーはそういう弱い点を知りながら、あえて問題提議したのでしょう。その意味では役目は十分果たしているし、そういう証拠の少ない細い糸をたどって論考を進めるというのは、なかなかエキサイティングではありました。

それにしても、海の向こうからやってきた人たちを次々と受け入れ、あっという間に同化させてしまう、マダガスカルの社会風土はすごいなあ、と思いました。

★★★☆☆

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