「リベラリズムはなぜ失敗したのか」はけっこう衝撃的な本だった。
その理由はやっぱり民主主義のOS(オペレーティングシステム)となっているリベラリズムはそれ自体に矛盾があり、それが原因で民主主義は失敗している、ということに尽きる。
ここで述べられている民主主義の問題は、ずっと言われ続けてきたことではある。しかし、わしはそれをリベラリズムというOSと結びつけて考えたことはなかった。だから民主主義が危機に陥っているといっても、どうすればいいかをリベラリズムの範囲内で考えていたのである。
ちょっと繰り返しになるが、具体的に、わしが驚いたことは次のところである。
(1)本気で自然人の自由を目指していること
自然人の概念は知っていたし、それが人権という概念のもとになっていることも知っていた。しかし、リベラリズムが本気で自然人の自由の状態を目指しているのだとは考えたこともなかった。なんといっても、自然人って、バカバカしいくらいファンタジーなのだから、このレベルの自由を実現しようとするなんてありえないだろう。でも、リベラリズムは本気らしい。これには本当にびっくりである。
それにしても、昔の人はこの自然人の概念から現在の民主主義のシステムをよく作り上げたものだと感心する。具体的な方法としては「発言の自由」「結社の自由」の設定、「三権分立」と「選挙」ということになるのだろう。とてもよくできている。今後リベラリズムのOSをバージョンアップするということになると、これくらい理論的に一貫した整合性を持たせなければいけないだろう。いったいどのくらいの天才が必要なのか、めまいがするほどだ。
(2)リベラリズム自身の矛盾であるため、リベラリズムの枠内で議論しても、これらの問題は解決しないこと
たとえば左派と右派、あるいはリバタリアンとかいろんな政治的立場があるけど、こういう論争はリベラリズムのシステムの中で議論しており、リベラリズムの矛盾を超えることは不可能である。
これはちょっとゲーデルの不完全性定理に似ている。ゲーデルの不完全性定理というのは、ある理論体系があると、その理論体系の中で合っているとも間違っているとも言えない言明が必ず出現するという定理である。こういうと難しく聞こえるが、簡単にいうとパラドックスが生じるのである。
このような状況が生じた場合、その理論はそのパラドックスを含んだもう1段階上がった理論体系を構築する必要がある。
科学で言えば、日常の物理ではニュートン力学で十分だが、光速を考慮しなければいけない状況では、相対性理論を考慮しなくてはいけない、という状況とよく似ている。
リベラリズムはすでに日常の範囲の自由を設定し終えたといえるだろう。この先はもうファンタジーの領域の自由しか残っていないということだろうと思う。現実から離れすぎてしまうのである。
どうすればいいのだろうか。
物理学との類推で言えば、ニュートン力学のように、人間一人ひとりをアトムとして独立した粒子と仮定して制度設計するということが不可能になったということだろう。よく言われることだが、複雑系とかネットワーク系の科学の発想を取り入れなければいけないということがはっきりしたということなのではないか。
そしてこれらの分野を取り入れるには、数値計算するしかないから、圧倒的な計算力を前提としたシステムにしなくてはいけない。つまり、アルゴリズムやAIを制度に組み込むということだ。
これらのことは、いままでも言われてきたことだが、わしはあまり真剣に考えていなかった。しかし、リベラリズムが原理的に矛盾に陥っていて、それが社会の混乱の原因なら、真剣に考慮しなくてはいけないということだ。
というわけで、わしはやっと、人類はこの方向性に向かわなくてはいけない、ということに腹落ちしたのである。
アルゴリズムやAIというと、すぐに人間がコンピュータの奴隷になるディストピアが頭に思い浮かぶが、いまの民主主義も油断するとあっというまに専制政治になってしまうことは、よく知られたことである。だからあまり変わりはないともいえるわけで、AIをむやみやたらに恐れても仕方がないと思う。
しかし、方向性は納得したとして、具体的にそれがどんなシステムになるのか、やっぱりよくわからない。何人かの天才、もしくはそれこそネットワークの超知能が必要だろうなあ。

