富野喜幸(=由悠季) 徳間書店 1981.3.31
読書日:2025.7.29
富野由悠季が故郷の小田原から逃げるように虫プロに入社し、大学時代の女性に翻弄されながら、総監督をした「海のトリトン」までを語った自伝。
これまで何冊か富野由悠季の本を読んできたけど、最近のものが多かった。しかしどうやら富野由悠季の自伝があるらしいということを知ったので、図書館を検索してみたらあったので読んでみた次第。本書はすでに絶版。図書館って素晴らしいね。まあ、古書の方にはたくさん売りに出ているみたい。増補改訂版もあるけど、これは初版バージョン。
この本では「ガンダム」のことはほとんど書かれていない。映画公開初日のことや、新宿の東口広場で行われた伝説の「新世紀宣言大会」のことが少し書かれているだけだ。その理由は、ガンダムに関してはいろいろ書かれるだろうから、というもの。実際、ガンダムに至るまでが知りたかったので、わしはこれでいい。
富野家はもともと東京都江東区大島の出身で、大島では富野家はお大尽だったらしいが、戦後に小田原に移ってきたらしい。そういうわけで富野由悠季は小田原で育ったわけだが、この小田原時代は、彼にとって人生の垢(あか)のようなもので、擦り落として捨ててしまいたいものだったようだ。
学校の成績も良くなく、運動神経もまったくなく、いじめられっ子で、しかも高校のときの片思いの相手には振られ、いい思い出はちっともなかったようだ。小田原は温暖で住むにはとてもいいところのようで、富野由悠季の昔の知り合いはほとんどが小田原を離れなかったらしい。でも彼は故郷からは逃げ出したい方だった。
鬱々とした少年時代に熱中したのは手塚治虫のマンガで、SFといえば手塚治虫のことだったようだ。驚いたことに、少年時代、SFにはまったく接していない。SFという広い世界があることを知ったのは、虫プロに入って、脚本を書いていた豊田有恒と出会ってからのようだ。SFに出会う前にSF作家に出会ったわけだ。ということは、モビルスーツの原点になったハインラインのパワードスーツとかの概念は、それ以降に知ったことになる。
豊田有恒から、SFはまずアイディアがあってストーリーはそのあと、という順番を教えられたそうだ。富野由悠季は圧倒的にストーリー先行で、SFマインドは自分にはないということを自覚したらしい。しかし当時は豊田氏がそれほど偉大とも思っていなかったようで、豊田有恒の本は読まなかったそうだ。そして偉大だとわかっている今は、当時わからなかった悔しさで、未だに一冊も読んでいないそうだ。なんだそれ? 読めよ。
また子供時代、小松崎茂という科学系のイラストレーターを崇拝していたのだそうだ。よくわからないが、当時の子供の半数は小松崎茂に夢中になったのだという。しかし「おもしろブック」や「少年画報」は買ってもらえずに、友達に見せてもらっていた。そこに載っていた絵を記憶を頼りにペン画でコピーするということに夢中になった。記憶で描くので少しへんてこな戦艦大和とか出来上がった。こういうことは中学のときに集中的にやっていたのだそうだ。
もうひとつ夢中になったのは宇宙旅行で、その原点は父親の仕事にあったそうだ。父親は戦争中は軍需工場で働いていたらしく、戦闘機パイロット用の与圧服の開発をしていたらしい。超高高度の空で気を失わないように着るもので、それはほぼ宇宙服だった。そういう写真が家にあって、宇宙旅行は馴染みのものだったらしい。宇宙旅行協会の会員になって、宇宙旅行の妄想をたくましくしていたようだ。
いっぽう、ドラマを作る方は、高校の頃の作文にいきなり物語のようなものを書いて教師を困惑させたりしていたが、大学(日大芸術学部映画学科)のころ課題の脚本を年に4本書いていたそうだ。しかし、そのなかでドラマとしてまとまったと自分で納得したものは1本しかなかったという。
演出の方は、虫プロに入ってからしばらく進行の仕事をしていたが、首尾よく演出の方を任されるようになり、絵コンテを次々仕上げるようになる。虫プロどころかアルバイトで他社の絵コンテも切るようになり、絵コンテ千本切りをするようになる。絵コンテはいいお金になったそうだ。そのうち、鉄腕アトムの一番多くの話数を手掛けた演出家ということになったそうだ。
というわけで、幼い頃からの経験のかなりがちゃんとその後の役に立っているようだ。
そこで最後のピースの女性関係。大学後輩のチョキとの関係がこの本の後半の中心をなしている。
大学時代からお互いに関心があったらしいが、本格的な付き合いになるのは、広告会社を共同創業したチョキがプレゼンの絵コンテを富野氏に(無料で)頼むようになったから。ある意味、損得ずくの関係で、二人はあまり合わないにもかかわらず離れられないという関係になってしまう。
こういう関係が富野氏を悩ませた。このチョキとの関係をいろいろ考えた結果が、富野作品の女性のモチーフになっていると本人が認めている。富野作品にたくさん登場する、魅力的で思わせぶりだが、最終的に理解できずに別れてしまう(死んでしまう)女性たちの原型なのだ。
このころ、数々のコンプレックスを抱えていた富野氏は、たくさんの詩のようなメモを書いていて、自分の心情を吐露していたらしい。チョキに関するものも多数ある。その文章がそのままこの本に載っているのだが、いやー、よくこんなのそのまま載せたな、というくらいちょっと恥ずかしいものだ。作家としての心意気なのだろう。本当に偉い。こういうのがいろんな有名なセリフの元になっているんだろうな。
チョキとの関係が切れたあと、知り合いに絶対に気が合うからと紹介された女性が、現在の妻の亜阿子(ああこ、仮名)なのだそう。会ってみると、本当に一瞬でお互いが夫婦となることがわかったそうだ。まさしくニュータイプ的に。
当時自分がなにを考えていたか知りたいと思って、メモをさがしたが、チョキについてはあれだけたくさん残したのに、亜阿子に関するメモはまったく見つからなかったそうだ。なんの悩みもなかったことの証拠である。
その後、多数のアニメ作品をフリーで渡り歩きながら、「海のトリトン」の総監督になり、これまで考えてきたドラマづくりの手法を試して、結果、好評を得る。ここで、作品を創る、ということのひとつの結論を得ることができたのだそうだ。監督・富野由悠季の本当の誕生の瞬間である。幼い頃からのとてもたくさんの試行錯誤の結果なのですね。
富野由悠季は成功した。では、その証は?
曲がりなりにも妻子を養って、住宅ローンを組めたことだそうだ(笑)。いや、でも大変なことですよね。
★★★★☆

