語り・オードリー・タン 取材・執筆・楊倩蓉 訳・藤原由希 かんき出版 2024.11.5
読書日:2025.5.21
台湾の元デジタル大臣オードリー・タンの生い立ち、考え方を全体的にまとめた本。
わしはオードリー・タンに注目している。
世界のIT業界を眺めると、極端なリバタリアンがアメリカを中心に多いように思える。わしはリバタリアンは嫌いではないし、むしろ親近感を覚えるけれど、しかしリバタリアニズムを推進してもうまく行かないだろうということは確信している。個人の自由と社会の共感は両立しなくてはいけないのだ。個人の自由だけではうまくいかない。
その点、オードリー・タンは、デジタル相として多くの市民の意見をまとめて台湾の社会改革を推進してきた。これはアメリカのテック企業の起業家やハッカーたちには成し遂げられなかったことである。
その方法は、「大まかな合意」を形成しすぐに実行する、ということだそうだ。完全じゃなくても大まかな合意さえ得られれば実行して、問題があればすぐに改善する、という方法をとる。
しかし、議論の参加者がものすごく多くなる中で、「おおまかな合意」を取るということ自体がとても難しそうに思える。どんなふうに進めているのだろうか。
まずは、その議論の土台の構築に注力する。その前提となるのは、参加者の共通の経験なんだそうだ。
オードリー自身も議論になっていることをなるべく体験してみるし、参加者にも自分の経験を語ってもらう。こうした共通の経験を重ねていくうちに、何に焦点を合わせるべきかということが明確になるという。議論の焦点さえ合えば、その後の議論は大いに進むという。中には焦点が合っただけで、問題解決の糸口がつかめることもあるそうだ。
この焦点を見つけるということが非常にクリエイティブな作業になるのだろう。しかし、じつはそれはそんなに難しいものでもないのかもしれない。話し合っていく中で議論が噛み合っていかない、ひび割れのような部分が見つかる。そこが焦点なのだそうだ。
また、すでに議論した内容を再びしないように、堂々巡りの議論にならないような仕組みも構築する。その基本は議論の内容をすべてオープンにして、すべての議論を文字起こしして、記録として残しておくということである。そして、その記録を参加者全員に送って間違いがないかチェックをしてもらう。新たに参加する人たちは、それまでの議論を読み込んでおかなくてはいけない。
こうした作業をしつつ、決して急がずに、ゆっくりと、実行できる合意に向かって議論を進めていくのである。けっして急いでいないが、焦点が合っており、後戻りがないことで、傍目にはかなりの速度で進んでいくように見えるようだ。
そして、ゆっくり進めていくことで、全員がこの議論の進め方を学んでいくことになる。
しかし、やはりオードリーがいなくなったときにもうまく機能するのかなあ、という気がする。彼女は就寝のまえに90分かけて、次の日の資料を読むのだそうだ。その資料のページ数、実に600ページである。IQ160の驚異的な知能なしにこの作業が本当に進むのだろうか。彼女が大臣を辞めた現在、台湾の市民の議論が今も以前と同じように進んでいるのだろうか。気になるところだ。(誰か確認してくれないかなあ)。
このような台湾の民主主義だが、台湾の置かれている状況によっているのかもしれないことは注意だ。
台湾は民主化が成し遂げられてまだ日が浅いので、民主主義の理想を実現しようという熱意がまだある。また隣国には強力な中華人民共和国があり、国内が分裂すれば台湾という国自体がなくなってしまうかもしれない。分裂は亡国の道なのだ。そういうわけで、社会をまとめたいという動機が台湾国民にはある。
というわけで、オードリーの成功にはこういう台湾の状況が有利に作用している可能性がある。つまり、今の台湾だからこそできることで、他の国に安易に移植できないということなのかもしれない。
こういう彼女の考え方が、インターネット初期の理想の世界に触れたことであるのは間違いないだろう。非常に知能の高い彼女が、学校で学ぶことをやめて独学で学習していく中で、インターネットの世界で真の仲間を得たという経験に由来している。ネットの世界では彼女の年齢も性別も、そして知能指数自体も関係なかった。
オードリーが起業した会社も、オープンソースのフリーソフトウェアの会社だ。そして情報はすべてオープンであるべきという考え方から、彼女はすべての著作権も放棄している。
彼女の目指す世界は、オープン、共創、共感であり、共好(ゴンハォ、共同で仕事をすること)である。
オードリー・タンの目は、いま世界に向かっているように思える。その世界はますます分裂し、憎しみ合うようになっているように見える。彼女に、この世界の流れを少しでも逆転させることは可能なのだろうか。
★★★★☆