アンジェラ・サイニー 訳・道本美穂 集英社 2024.10.30
読書日:2025.1.24
家父長制の起源については未だ不明な点が多いが、過去に起きた家父長制の起源に関する議論を追い、家父長制は絶対ではないと主張する本。
(注:以下の文では、母系社会と母権社会、父系社会と父権社会はほぼ同じ意味に使っています。理由は、えーと、わしが適当だからです(笑))
家父長制はたいていはフェミニズムとの関連で語られ、研究者は女性が多い。わしはフェミニズムは概ね妥当だと思っているが、わしが家父長制の起源に興味を持つのはフェミニズムと関係ない。わしが関心を持つのは、人類の未来の社会がどうなるかについて興味を持っているからである。
エマニュエル・トッドによれば、家父長制は人類にとってそんなに古いものではなく、実際には人類の家族形態にとって最新の形態であり、それはユーラシア大陸の中央部に発生し、周辺部に広がっていったという。そして、家父長制が絶対的になっているユーラシアの中央部では、権威主義的な社会になっているが、まだ家父長制の影響が少ない周辺部では民主主義がある。つまりいま存在している民主主義的な社会はもともとあった人類の社会の残照のようなものだというのだ。現在、多少とも民主主義的な勢力が世界にあるのは、ヨーロッパの端にあったイギリスのアングロ・サクソン民族がアメリカ、オーストラリアなど世界中に広がったことが大きい。しかし、世界全体ではこの勢力は追い詰められている。つまり、家父長制は今後も広がり、民主主義は追い詰められるというのがエマニュエル・トッドの見立てなのだ。
というわけで、未来の社会を考えるには、家父長制とはなんであり、なぜそれが起こり、世界中に広がっているのかを理解しなくてはいけない。エマニュエル・トッドは家族制度と政治制度の相関関係を示したが、因果関係は十分説明できているとは言えない。だからこそ、家父長制の起源に対する理解が必要なのだ。
では、さっそくサイニーの議論を見ていこう。なお、サイニーは学者ではなくてジャーナリストであり、基本的にあちこちに行って学者の話を聞くという体裁を取っている
まず、かつての人類社会がどんなふうだったのかについての過去の議論を見ていこう。19世紀に、人類はもともと母系社会だったのではないか、という議論がされるようになる。生物学的に見れば、子供は母親から生まれるのだから、家系は母親をたどるのが自然に思えるからだ。1977年の「古代社会」という本で、モーガンがアメリカ先住民の母系社会を例に引いてそのような意見を述べている。それを社会主義者のエンゲルスが「家族・私有財産・国家の起源」で、人類はもともと原始的な母権社会で平等な社会だったが、農業が発達し文明が起きたところで「女性の歴史的な敗北」が起き、女性は男性の所有物になったと説明する。
このようなことは本当に起きたのだろうか? それには、現在は家父長制の社会の地域なのにかつては母系の社会が見つかれば説明がしやすい。それが農業が起こる前あるいは起きたころならさらに都合がいい。また、小さな部族では母系社会になりやすく、人口が多い都市になると父系社会になると人口に着目して主張する人もいるので、多くの人間が住んでいた都市にも関わらず母権的な社会であれば、ますます都合がいい。
こんな都合の良いものがあるのだろうか。ところが、それらしい遺跡が発見されたのだという。
トルコのチャタル・ヒュユクの遺跡が発掘されたのは1961〜1965年のことで、そこから出てきた女性像が有名になり、この社会は母権社会だったのではないかとすぐに言われるようになった。紀元前7400年以前の遺跡でちょうど農業が起きた頃である。さらにここは5千人〜1万人もの人が住んでいたかなり大きな都市だった。チャタル・ヒュユクには支配者のための施設がまったくなく、非常に平等な社会だったと見られる。
これは仮説にぴったりの遺跡で、フェミニストたちもこの発見に熱狂したという。
この遺跡について、大胆な説を唱えたのがマリア・ギンブタスという学者で、チャタル・ヒュユクだけでなく、ドナウ渓谷の紀元前6000年の遺跡やギリシャの文化を調べて、もともと古代のヨーロッパ(古ヨーロッパ)は母権の社会だったと推定した。それが、ステップの軍事的で父権主義的なクルガン文化の民族に征服されて、ヨーロッパは父権社会になったと説明したのである。(注:紀元前3000〜紀元前1100のクレタ島にあったミノア文明は母権社会だったという。それがミケーネ文明では父権化している。ギリシャはクルガンの影響を受けたのかもしれない。なお、アテネは父権社会だが、スパルタは女性も戦士であるから、女性の地位が高かったという)。
この説は、発表当時はとてももてはやされたが、その後、男性の研究者たちから単なる空想、願望などと非難を浴びて、やがて見向きもされなくなる。さらにその後の調査で、チャタル・ヒュユクは、母権でも父権でもない中性的な社会だったと考えられるようになってきて、ギンブタスの説はますます否定されていく。ギンブタスは「いずれ分かる」という言葉を残して、1994年に亡くなった。
ところが、最近のDNA検査の発達で、ギンブタスの説が見直されているのだ。遺伝子の調査で、実際にステップの民の移動が確認されたからだ。4500年前の新石器時代末期から青銅器時代のはじめにかけて、東から西に向かって民族の移動があったことが分かった。すると、このクルガンの民が父権社会で、家父長制を広めたということなのだろうか。
クルガンの民はインド・ヨーロッパ語族という言語グループの発祥であり、彼らの移動によりヨーロッパとインドにインド・ヨーロッパ語族の言語が広がったと見られている。インド・ヨーロッパ語族の研究者によれば、復元されたかつてのインド・ヨーロッパ語には男性の家族関係を示す言葉はたくさんあったが、女性の家族関係を示す言葉は少ないそうだ。そういうわけで、クルガンが父権社会だった可能性はかなりある。
クルガンの民の社会がどのようだったかは、実際にはわからない。しかし、同じステップの民であるモンゴルのチンギス・ハンの時代の社会についてはよく知られているから、そこから類推することができる。それによれば、モンゴルの女性は馬に乗ったり、矢を射るなど戦闘に秀でていて、男性と同じことができることが求められていたという。そして、父権社会ではあるが女性はそれなりに敬意を払われ、極端に低い地位にあったわけではないそうだ。そうならば、クルガンの民も同じだったかもしれない。
クルガンの民の中では男女は平等だったかもしれない。しかし、クルガンが征服した民族においてはどうだったのだろうか。
遺伝子による研究には続きがある。現代人の男性だけにあるY染色体を調べると、Y染色体の遺伝子の多様性はとても低いのだ。インド人男性の20〜40%、東ヨーロッパの男性の30〜50%はたった一人の男性の遺伝子を受け継いでいるという。これに対して、女性の遺伝子はミトコンドリアの遺伝子を調べることで確認できるが、非常に多様性がある。このようなY遺伝子の収縮が起きた時代も大雑把であるが分かっていて、それは5000年前〜7000年前だそうだ。
男性の遺伝子の多様性は少なく、女性の遺伝子は多様性が確保されているという結果から、何が言えるのかは明らかだろう。戦争で負けると男性は殺され、女性は生かされたことを示している。なぜ女性が生かされたかと言うと、女性の方が価値が高かったからだ。男性にできることは女性にもできる上に、女性は子供が産めるという利点がある。そして、このような戦争に負けた方の民の立場はどのようだったかというと、彼らは奴隷にされたのである。
エンゲルスは不平等が発生したのは、農業が始まって、土地の私的所有が起きてからだという。しかし古代の初期の国家に詳しい、ジェームズ・スコットによれば、この時代にもっとも価値があったのは土地ではなく人であったのだという。
そうすると、この時代、奴隷の価値はとても高かった。奴隷をたくさん持っている人が地位の高い人だったのだ。そして女性の方がさらに価値が高く、男性は殺されたから、奴隷の多くは女性だっただろう。
クルガンの民の中では、ある程度、男女平等だったかもしれない。しかし、奴隷化した女性については平等であるはずがない。奴隷は人ではなく、主人が好き勝手にしても良い財産なのだ。
そういうわけで、かなりおぞましい事態だが、家父長制は、非常に多くの女性が奴隷となることで強制的に低い地位に落とされたことに起因する可能性がある。
いったん、女性の地位が低いという前提ですべての制度や文化が整えられると、それがさらに固定化する方向に働いたのかもしれない。サイニーによれば、家父長制は女性を団結させるのではなく、分断させる傾向があるからだ。
地位の高い男性の妻は、他の多くの女性の上に立つ女主人の役割をする。逆に、地位の低い女性が現状を脱しようとすると、最も簡単なのは地位の高い男性と結婚することだ。奴隷から妻を娶るということはかなりあったと思われる。女性の名前のバーバラは野蛮人を示すバーバリアンから来ており、これは女奴隷の意味だったという。
男性によって得をした女性は男性優位な社会であることを良いことだとするだろう。この制度の中では男性と女性が闘うのではなく、女性は女性同士で闘うように仕向けられている。この制度では女性が団結することは難しいのである。
このように大部分の女性が奴隷という状態からスタートして、それを維持するための制度が家父長制だとすると、それなりに筋は通っているように思える。
そして今も、家父長制はそうでない母権的な社会を父権的な社会にするべく働きかけている。例えば、インドで母権的な社会の民族に対して、男性だけに特定の権利を認めるという法律などを作って、男性を優位にしようとしている。
この本の最初の方に、世界の母権的な社会の分布を示したマップが載っている。その多くは北アメリカやアフリカなどに多く、ユーラシア大陸の中央はぽっかりと空白地帯になっている。これをみるとちょっと憂鬱だ。このまま世界は権威主義ばかりになってしまうのだろうか。
わしが目指している社会は、格差があっても下の者が上の者に「だから?」と言えるような社会だ。そのためには、食料や住居、教育などの基本的な事柄が豊富に提供され、実質無料になる必要があると思っている。もしそういう社会が作れたら、すべての女性も男性に「だから?」と言えるから、きっとその時は家父長制は大いに揺らぐだろう。
サイニーは家父長制は絶対ではないと主張しているが、わしもそう思う。かつて人類は、父権的な社会も母権的な社会も、あるいは男女に差がない中性的な社会もあり、非常に多様だったことが分かっている。家父長制が絶対ということはないだろう。いまのところ、反家父長制の勢力は負け続けているのだけれど……。
家父長制の起源については、まだ確定していないので、今後も注目していくつもりです。
★★★★☆