ヘタレ投資家ヘタレイヤンの読書録

個人投資家目線の読書録

本居宣長 「もののあはれ」と「日本」の発見

先崎彰容 新潮社 2024.5.20
読書日:2024.11.24

江戸時代、「西側」だった中国の儒教文化に侵されていた日本を、日本独自の感性を復活させようとした国学者本居宣長の挑戦を描いた本。

別に国学に興味はなかったのだが、なにやら熱くかたる書評に出会ったので読んでみることにしたもの。読んでみたら、なかなか面白かった。

今となってはよく理解できないのだが、江戸時代の和歌の解釈は今とは全く異なっていたというのにまず驚いた。儒学全盛のこの時代は、儒学の価値観で歌を解釈していたのである。

和歌の世界は恋の世界で、不倫も近親相姦もあり、儒学的にはありえない恋もたくさんあるが、そういうのを儒学的に解釈すると、その恋を悔やんでいるとか罪の意識を持っているとか、ありえない解釈が行われていたのだという。

これに対抗するように公家が発展させた別の読み方も存在して、和歌(特に古今和歌集)には実は隠された意味が暗号のように織り込まれているという解釈がある。これを「古今伝授」というんだそうだ。こんなの初めて知った。しかも、この独特な読み方を秘伝として、限られた人にしか伝わらないようにして、なにか特別の価値があるように見せていたという。

古今伝授は、例えば歌に出てくる「百千鳥」は「臣下」を表し、「呼子鳥」は「関白」のたとえであり、「いなおほせ鳥」は「今上天皇」の象徴、というふうに歌の中に政治権力構造が織り込まれていると解釈するのである。なんか陰謀論者の思考回路に近いものを感じる。戦国時代から江戸時代初期になると細川幽斎によるさらに精緻に理論解釈したバージョンが確立された。

こういう儒学的だったり古今伝授的な読み方は「男性的なもの」だった。本居宣長は若いうちから和歌などの古典に耽溺していた人で、こういう男性的な読み方には耐えられなかったらしい。本居宣長は、和歌などは「女性的なもの」として理解していたのである。

こうした男性的な解釈に対抗して、もともとの読み方を復活させるにはどうすればいいか、ということを真剣に考える人達がいた。たとえば国学者の源流の人と言われる、契沖(けいちゅう)である。

儒教的あるいは古今伝授的な読み方は理論的に構築されているから、それに対抗するには国学者たちも理論的に武装して立ち向かわなくてはいけない。

契沖は、昔の和歌の意味を解釈するにあたって、使われている言葉の意味が契沖の時代とは違っていることに気がついていた。そこで当時の言葉がどのように使われているかの使用例を集めて当時の意味を再生させ、それにより歌を解釈したのである。このような文献学的、実証的な方法を武器としたのである。

同様に、文献から当時の倫理観も再構築した。なので、後の時代では近親相姦的で許されないような関係であっても、当時は倫理的に問題はなく、罪の意識などはないことを明らかにして、儒学的な解釈を否定した。

こうして契沖は、うたった人本来の心情に寄り添った解釈をした。これは同時に中国の「西側」の文化を排除して、日本古来の独自の伝統を掘り起こしたということだった。

契沖の手法は、賀茂真淵にも引き継がれた。賀茂真淵万葉集の研究をした人だ。本居宣長賀茂真淵は一度だけ会っている。そのときに賀茂真淵は、万葉集の研究で自分は終わってしまうから本居宣長には古事記を研究してほしい、と依頼したという。

こうした先人たちもいるのに、本居宣長がいまでも国学の最重要人物になっているのは、「もののあはれ」論を主張したからである。もののあはれこそが日本独自の感性であり、それは「西側(中国の儒学)」にはないものだと主張した。

著者の先崎は、「あはれ」を漢字の「哀れ」に引きづられると解釈を誤るという。哀れの字を当てたのは後世のことで、古代ではただ「阿波礼」と当て字で書かれていて、悲しい気持ちと関係ないのである。楽しかったり、わくわくするようなことにも「もののあはれ」は働いている。

さらにいうと、「もののあはれ」は個人の感情のことではないのである。

では「もののあはれ」とは何かというと、それは、このような情景のときにはこのように感じる、という感情の「型」だったり、「セット」であり、「パターン」というべきもので、古代の日本人にとってお約束のものなのである。それは日本人が積み上げてきた感情のなかから編み出された共通財産で、このような「型」を習得することで、歌を聞いたときに、ああこの「型」ね、と素早く判断することができるのだ。そして作るときも、この「型」使って素早く作れるし、ちょっと型を崩して変化を与えることもできるのである。もちろん、それは日本以外のどこにもないものである。

へー、「もののあはれ」というのがこういうことだとは全く知らなかった。しかし、こうしてみると、本居宣長はそんなに突拍子もないことをいっていないように思える。これはネーミングの勝利という気もするなあ。

本の最後に日本を表す「やまと」の語源についての話があって、これはいろんな説があっていまだ確定していないのだけれど、本居宣長の解釈は「山処」、つまり山に囲まれた盆地のことで、当時の奈良のことを指しているのだそうです。これまた奇をてらわない自然な解釈です。

わしがこの本を読んで一番気に入ったエピソードは、若き日の本居宣長が架空の地図や家系図など、架空の歴史を創って遊んでいたということかな。まだ本居姓ではなく小津姓で、商家の跡を継ぐべく修行していたけど、全く身が入らずに、精神逃避をするためにこのようなことをしていたらしい。武士になりたかったのだ。ところが後に、本当に自分が本居という侍の家系の末裔だということが分かって、すぐに本居姓に改名したんだそうだ。

いやー、もしかしたらこの改名は、本居宣長本人にとっては、「もののあはれ」や古代日本以上に重大なことだったんじゃないかしら。これがなかったら、後の本居宣長は誕生しなかったかもね。

★★★★☆

にほんブログ村 投資ブログへ
にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ