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ゲーム・プレイヤー

イアン・M・バンクス 訳・浅倉久志 角川書店 2001.10.25
読書日:2024.11.15

遠い未来、人類はいくつかの種族と<カルチャー>という銀河文明を築いている。<カルチャー>で人は何百年の寿命を誇り、性転換は自由なので男女の性差も存在せず、法律も貨幣も政治機構もなく、人々はひたすらゲームをして過ごしている。名うてのゲーム・プレイヤーであるグルゲーは銀河の旧式な帝国であるアザド帝国で行われるゲーム《アザド》に参加するべく派遣されるのだが……。

未来がどんな世界かを垣間見るのに、SFほど適したものはないだろう。SFでは作家が想像力を駆使して、ありえないような未来の様子を具体的に語ってくれる。

わしは物質文明が究極まで発展して、死も超越した世界はどんなふうになるのだろう、と夢想することがあるが、1988年のこのSFに出てくる<カルチャー>くらい、そんな世界を垣間見せてくれる本はないのではないだろうか。

でも、イアン・M・バンクスのこのシリーズは意外に日本では人気がなさそうである。おそらく、文明の発達が極めて肯定的に描かれているからじゃないだろうか。だいたいテクノロジーや文明が発達したらディストピアが出現するのがお約束で、そうならない世界を想定すること自体がなかなか難しいのかもしれない。なにしろ人間という種族は、とことん臆病者で、なにかと未来に不安材料を見つけずにはいられない性質を持っているのだから。

そもそも、もし物質的にも文明的にも何も問題がないのなら、物語を成立させること自体が難しいのだろう。多くの作家がすぐにディストピアに走るのは、物語を構築するのにこれほど簡単な方法はないからだろう。でも、驚いたことに、イアン・M・バンクスはこの問題を軽々と乗り越えるのである。そして、そのお話が面白く書かれていることにびっくりだ。さすが鬼才と言われるだけのことはある。

<カルチャー>の世界では、どこかにメインのAIが存在していて、それが適度に<カルチャー>の世界が破綻しないように、全体をうまくコントロールしているのらしく、銀河で起こるいろいろなことに干渉しているのである。科学的な問題に興味を持って、そういった問題を研究している機械もあるのだろうが、そうした部門の一つに<コンタクト>と呼ばれる部署があるらしい。この<コンタクト>は、よくわからないが、文字通り銀河に存在している<カルチャー>以外の別の文明に接触することが使命らしい。つまり<カルチャー>の外交部門らしいのである。そして、もしもその文明が<カルチャー>と相容れないものなら、その文明を崩壊に導くことすらするのである。

そんな<コンタクト>が今回目をつけたのが、アザド帝国という、3つの性を持つ異星人の帝国で、この帝国は他の惑星を軍事的に征服するという昔ながらの帝国なのだが、<カルチャー>とはもちろん相いれない。<コンタクト>は、この帝国は持続不可能でいずれ滅びると判断しているが、<カルチャー>に影響を与えかねないので、勢力を削ぐことを考えたらしいのである。

この帝国の皇帝は《アザド》というゲームの勝者がなるという決まりがあって、定期的にこのゲームが開催されている。優勝しなくても、このゲームで良い成績を上げることができると、高官として出世できるので、優秀なアザド人はこぞってこのゲームに参加する。

なぜこんなゲームで決めるのかというと、どうもこのゲームは現実をコピーしたような内容らしく、このゲームで勝利するということは、現実にも行政能力があることの証明になるらしいのである。逆にゲームに負けると一族の滅亡にも繋がりかねず、戦いは真剣である。これはまるで中国の科挙がゲームになったようなものだと言ってもいいだろう。

こんなゲームに<カルチャー>のゲームの達人が参加して勝つことができれば、アザド帝国はその存在意義を疑われて、勢力を削ぐことができるだろう。そこで<カルチャー>内のゲームの達人であるグルゲーを派遣して、このゲームに参加させるのである。

いろいろなことが起きて、結局、最後は現皇帝とグルゲーの一騎打ちになるのだが、ここで興味深いことが起こる。ゲーム《アザド》は現実の反映なので、皇帝はもちろんアザド帝国の文明の考え方を反映した配置を取るのだが、対抗するグルゲーは<カルチャー>文明の考え方を反映した配置を取るのである。ここで、ゲームの上ではあるが、文明と文明の対決の様相を呈するのである。結果は、<カルチャー>文明の圧勝に終わり、アザド帝国は事実上の停止状態に追い込まれる。

まあ、こうした物語の流れも興味深く構成されているけど、やはり<カルチャー>自体が興味深い。こんなに未来社会を文化のレベルで検討した物語があっただろうか。

ここで法律もなく社会がうまく行っているのは、この社会が「評判」をたいへん気にする社会だからである。人々は評判を落とすようなことはしないのである。まるでお互いに監視して治安を守る日本社会のような気もしないではないですが。

法律も行政機構もなく、AIの緩やかな監視のもとに、自由に活発に長い人生を生きる人類のポジティブな社会。そうした社会を構想した上で、その社会の切れ目のような部分を発見し、さらに物語を構築する作家の才能に脱帽だ。

サイバーパンクも色あせたけど、イアン・M・バンクスの文化を中心とした物語は、まったく色あせていない。それどころか、これからさらに注目されるんじゃないだろうか。

(まあ、ちょっと、松本零士の表紙のイラストは、どう評価したものか困ってしまいますけど(笑))。

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