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個人投資家目線の読書録

不思議なキリスト教

橋爪大二郎 大澤真幸 講談社 2012.2.1
読書日:2024.11.17

欧米文化の根幹にあるキリスト教のことを分かっていない度合いが世界一高い日本人に、キリスト教について根っこから伝える対談。

いちおう、これまで述べられてきたキリスト教関係の説明のなかでは最も納得性が高いように思った。

でもねえ、やっぱり一神教のところがもやもやしてるんだな。一神教ってやっぱりいろいろ無理があるような気がする。なぜ一神教でなければいけなかったのか。まあ、それ以外にももやもやしているところはたくさんあるんだけれど。

ユダヤ教が生まれた頃に、仏教や儒教なども生まれたけど、そんなふうに世界のあちこちで多神教を乗り越えようとした考えが生まれたそうだ。どういうことかと言うと、戦争やその他で民族がぐちゃぐちゃになって、多神教では対応できなかったからたという。まあ、ユダヤ教の場合はぐちゃぐちゃになった事件として、バビロン捕囚という歴史的にはっきりした事件があるんだけれど。

さて、多神教を乗り越えたいろいろな宗教、ユダヤ教イスラム教、儒教などのなかで、キリスト教のヨーロッパだけが産業革命や会社組織などの革新的なアイディアを実現できたのか、についてははっきりした理由があったんだそうだ。知識的にはどの地域でも遜色ないレベルで発展していたので、知識の問題ではなかった。それはキリスト教以外の宗教には、厳格な法律(宗教法)があったけれど、唯一キリスト教だけが宗教法がなかったからなんだそうだ。

イスラム教が典型的だけれど、何をするかが宗教法で明確に書かれてある。それ以外のやり方はありえない。でもキリスト教の教義は、言ってしまえば「愛」だけ。主への愛と隣人愛だけで、具体的な内容については何も記載がない。だから、公会議などによって決めなくてはいけなかったし、その後もいろいろ考案しなくてはいけなかった。つまりこれは自分の理性を用いて、神の意志を慮るということだった。

科学などはそもそも神の意志を明らかにするために自然を観察するところから始まった。こういう敬虔な宗教心と理性への信頼という組み合わせはめったに無いものだという。この2つがあってはじめて科学は起こったという。

他の宗教世界では知識人は、宗教法を解明して、そこからの発展を考える。しかし、キリスト教にはそれがなかったので、科学が発展した。

そして、やがて、利子も解禁されて、資本主義が始まったのだという。

なるほどなー。まあ、そのへんが分かっただけでも良かったかな。

その他、いろいろ、キリスト教についての謎や考え方が記載されていて、それらはかなり面白かったです。

*** 一神教に対するもやもや ***

多神教の神は人間の延長で、結局人間なのだという。神は人間の仲間で、神々の世界は神どうしのネットワークの世界が構築されている。

ところが一神教の神は人間ではないという。むしろ地球外生命体、エイリアンのような存在なんだそうだ。人間どころか世界すらも創造したお方ですから、まあ「宇宙外」生命体ですかね。なので、超恐い存在で、なにか良からぬことをされないように、神の考えを預言者が聞き取り、そのとおりにするということが身の安全になるということになる。つまりこれが神との契約ということだそうです。

でも、橋爪さんは、Godには意志があり、感情があり、理性があり、言葉を用いる、つまり人間の精神活動と瓜二つだという説明をする。なにより聖書に、人間は神の似姿と書いてある。ということは、やっぱり人間じゃないのか?

そこで、橋爪さんは、「人間は神に似ているが、神は人間に似ていない」と説明する。神は4次元の生物のようで、それを3次元に射影すれば人間に似ているが、3次元の人間を4次元に射影できないから形はないんだそうだ。

いやあ、こんなアクロバティックな思考をしないと理解できないだなんて、かなり無理があるんじゃないですかねえ。

人類はなぜ<神>を生み出したのか」の著者のアスランはこう説明している。

www.hetareyan.com

ユダヤ教以前にも一神教の考え方はあった。多神教のばあいはひとりひとりの神に役割を与えるので、ひとりひとりの神自身には矛盾はない。ところが、神が一人ということになると、すべての矛盾を一手に引き受けることになる。それは論理的におかしなことになるので、神は人間ではないという非人間化を行うことになる。このような非人間的な神はなかなか受け入れ難いので、ユダヤ教以前の一神教は失敗していたのだそうだ。ところがユダヤ教一神教の神ヤハウェは、矛盾を厭わない怒れる神で、とても人間臭かった(橋爪さんの言う通り人間に瓜二つ)。なのでユダヤ教は成功したということだった。というわけで、アスランによれば、一神教の神も人間だと主張する。

わしもこっちのほうが理解できるな。たった一人の神を設定したけれど、擬人化しており、つまりそれは人間ですよね。擬人化しないと絶対に理解できないと思う。

もうひとつ、三位一体のほうも結構アクロバティックな思考を要求されるよね。キリスト教って、面倒くさい宗教だよね。

★★★★☆

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