青田麻美 光文社 2024.6.30
読書日:2024.11.6
従来は日常から離れたところに「芸術」が存在して美を担っていたが、日々の暮らしの中に存在する美学、「日常美学」を紹介する本。
日々の生活の中で、ふと何かを見て美しいと思ったり、いつも見ているものが違って見える、ということは普通にあることだと思っていましたが、この本を読むと、それをきちんと議論しようと思うととても面倒くさいものになるようです。
日常美学というのは、21世紀に入って議論され始めた新しい学問のようですが、まず日常美学とはなにか、ということを定義するだけでけっこう大変そうです。なにしろ「芸術」という概念が誕生したのもたった数百年前だそうで、そうすると、これまで美というものを担っていた芸術と何が違うのか、などと議論しなくちゃいけないそうです。
それで日常にも美があるということが理解できると、ようやく具体的な議論が始まるのですが、例えば「椅子」のようなある機能をもった日常の家具に注目すると、独特の形状の椅子なんかがあって美があるのはもちろんですが、通常のシンプルな椅子にも美があるとかいう話になりますし、そもそも家の中に家具を配置するということが美につながるという話にもなり、そうするとそもそも家というものが重要なアイテムなんだということが語られたりします。
具体的なものではなくて、人間の行動、たとえば掃除とかできれいになった部屋とかにも美を感じることができます。ルーティンも美なのかもしれませんが、ルーティンが定まるまでの過程とかルーティンを続けるためには日々発生するアクシデントなんかも対応するとかの工夫が必要なので、じつはちっともルーティンじゃないという話がされたりします。
家の中に注目するだけでなく、家の周りの環境をみると、それはそれでいろいろなものが目を引いたりします。散歩は、いろいろな美を見つけるきっかけになるとか。
そもそも日常とは何かという議論もされます。日常とは「なんとかやっていくこと」なんだそうで、いつもやっていること自体が、そもそもいつまでも同じではなくて、常に変わっていくことが議論されたりします。そうして何か新しいことに出会うことが美につながることもあるといいます。
というような話がされているのですが、まあ、何と言いましょうか、別に普通に生活の中にいろいろな美を見つけるって、普通過ぎてこんな面倒くさい議論をしなくちゃいけないのが不思議でなりません。わしはベッドに雑に置かれた毛布の形状にもけっこう気を取られたりしますし。
なにより、日常で美をすることが、「世界制作をする」ということになるんだそうで、いやー、そうかもしれませんが、そういう意識で生活するのはなかなかしんどそうです。
日本には西洋よりもはるか昔から日常に美を感じる風習がたくさん残っています。たとえば枕草子を読めば、そのようなエピソードのオンパレードでしょう。なんで、その辺に触れないのかも不思議です。川端康成なんかも日常の美について、よく述べていますよね(あまり知らないので、推測ですが)。
べつにこのような議論をするのはかまいませんが、わしに限れば、まあ、関わらないでいいかな、と思いました。
★★★☆☆