トランプが大統領選に再選したとき、いま時代は新しい中世になった、とわしは実感することができた。これがどういうことか説明してみようと思う。
次の時代は新しい中世になると言った人は、実はたくさんいる。少なくとも1950年代からそう言われているのである(苦笑)。そう言った人はそれぞれの視点でそう言っている。(その例については、ここを参照)
というわけで、単に中世になったと言っても、なかなか難しいのである。で、わしが取り上げるのは以下のことだ。
1.王の復活(法律、議会・裁判所・メディアを越えた権威主義的リーダー)
2.階級の誕生と固定化(新しい貴族階級と労働者階級の固定化)
3.人と物の移動の制限(移民の阻止、関税復活、グローバル経済の衰退)
4.価値観の転換(事実からフィクションへ)
では、順番に述べていこう。
1.王の復活(法律、議会・裁判所・メディアを越えた権威主義的リーダー)
世界中、権威主義のリーダーばかりになってしまった。中国、ロシア、トルコ、ハンガリー、イラク、インド……数え上げるときりがないくらい。問題は民主主義国と思われていた国々にそれが波及していることである。彼らの特徴は、議会や裁判所、そして法律の上に立っていて、それらに縛られていないことである。
じつはもともと国のリーダーはいかなる権威よりも強い権限を持っている。普段はそれは見えないのだが、非常事態には全権を掌握できることからもそれがわかる。しかし、少なくとも民主主義国では、リーダーも法には従うという素振りをこれまでは示していたのである。しかし、権威主義の時代では、そういうしおらしい気質はすっかりなくなってしまったようだ。日常的に法をないがしろにする。
これらの新しい王たちは、法の上に立つために裁判所に介入する。いまでは裁判官たちは、王の望むままに法律を運用する。(アメリカの最高裁がトランプの裁判を選挙後まで延期したように)。
王たちはメディアの力も徐々にそいでいく。(多くのアメリカの新聞が、大統領選挙後の影響を鑑みて、どちらの候補を支持支持するかを表明しなくなったように)。
こうして、民主主義は壊れていく。
もはや中世の王と違うのは、世襲でないことぐらいなんじゃないか。しかし、政治家の子供は政治家になる傾向がますます高くなっているし、国王の周りにいる家族は家族という理由だけで政治に介入してくる。日本ではすでに政治家の世襲は当たり前で、アメリカでもブッシュ一族が世襲に成功した。今後、世界中で大統領や首相の世襲が増えていく可能性がある。
2.階級の誕生と固定化(新しい貴族階級と労働者階級の固定化)
今回のアメリカの大統領選挙では、従来、民主党に投票していた黒人、ヒスパニックが共和党に投票したことが分かっている。つまり、人種ではなく、労働者階級という階級によって投票行動が決まったということである。多くは低所得者層である。
アメリカ社会は格差が広がりすぎて、中産階級が絶滅しつつあり、高学歴高収入の超エリートと低収入の労働者階級の2階級に分裂している。いわゆる1%対99%である。そしてこの階級は固定化して入れ代わりはほとんどない。
今後、この階級はどうなるのだろうかを予想してみよう。
かつてはアメリカンドリームという、生まれに関係なく努力の才覚によってのし上がれることが期待された。しかし、固定化が進みすぎた結果、労働者階級の間で、もう一生この階級のままでいいのだ、という諦念の感情が芽生えてくる可能性がある。固定化の承認である。
このような階級が固定化された世界は悲惨なのだろうか。実はそうではない可能性がある。
階級社会は意外に悲惨ではなく、安定な社会だという話があるのだ(たとえばここ)。同じ階級で群れ合っているヨコ社会では、仲間がたくさんいるから問題ないのである。
というわけで、貴族であるエリート階級と低所得の労働者階級の2極化は社会の不安定を招くのではなく、安定化に寄与する可能性があるのだ。低所得の労働者階級はどの国でも強い権威主義的なリーダーを熱烈に支持するという傾向があるので、それも社会の安定化に寄与するだろう。
階級はさらに複数に分離する可能性がある。いくつか層状になった方が社会が安定する可能性があるからだ。
さらに、このように階級が安定化すると、血統を重んじるような風潮が出てくる可能性がある。家柄や血筋というのはほとんどの国で重視されるものだが、アメリカでも血筋が重要ということになる可能性がある。つまり、アメリカでほんものの貴族が誕生する可能性がある。
アメリカだけでなくて、世界中で階級の固定化、それによる「意外に安定した世界」が出現する可能性がある。
3.人と物の移動の制限(移民の阻止、関税復活、グローバルな風潮の衰退)
中世では人や物の移動はほとんどなかった。そのような時代が来る可能性がある。
移民はますます難しくなるだろう。これは間違いない。だが旅行などはどうだろう。
いまのところ、旅行などは問題ないけれど、低所得者の労働階級が定着すると、彼らは外国への旅行代を賄えない可能性がある。今後、一生外国へ旅行しない人が増えていく可能性がある。
関税が復活すると、高額な商品だけでなく、低価格のものも値段が上がるだろう。国家間の物の動きが停滞すると、物不足になる可能性がある。堺屋太一によれば、中世の世界を端的にいうと「モノ不足、時間あまり」の時代だったという。そのような時代が復活する可能性がある。
4.価値観の転換(事実からフィクションへ)
堺屋太一は「知価革命」で、価値観は、「余っているものを過剰に消費して使い捨てにするのが格好良く、少ないものを節約するのが良い」ように変わっていくという。つまり有り余るものと不足するものが特定できれば、次の時代の価値観がわかるということになる。
堺屋太一は、1985年の時点で、今後過剰になるものとしてコンピューター・コミュニケーションを挙げていた。そして、個人でも持てるようになったコンピューターにより、たくさんの知価が作られるようになり、それが氾濫する世界になるだろうと予想した。「知価革命」の論旨はそのような内容で、それはそのとおりに進んだのである。
ただ、堺屋太一が予想していたのは、デザインなどのそれなりに高付加価値の知価だった。もちろんそういうものも過剰に生産されているからそのとおりなのだが、いま過剰に有り余っているのは、「コンピューター・コミュニケーション」のうちの「コンピューター」の方ではなくて、「コミュニケーション」の方である。つまり、通信費が過剰に余っているのである。月に数千円払うだけで、事実上無限の通信を行うことができる。例えば、X(旧ツイッター)に140字の投稿をする通信費は、事実上タダである。というわけで、通信を使い捨てにするのが格好いいという風潮になっている。ようするに、SNSが世論を動かすようになった。
こうしたSNSで語られていることは、ほとんど思いつきで、事実かどうかはわからないことばかりである。なにしろ事実に基づく話は事実確認にコストがかかるのである。それに比べて、思いつきのおしゃべりは無料である。こうして、無料の通信と無料のおしゃべりを使って得ようとするのは「評判」である。タダの通信を使って評判を手にいれることが成功という世界になっている。
これはつまり「物よりも精神に価値がある」という中世の考え方に近くなるんじゃないかと予想する。フィクションが事実と同じか事実以上の価値を持つ世界なのだ。陰謀論が簡単に信じられる世界でもある。AI技術によりますますフィクションは安くなっていくだろう。人々の議論は事実ではなくフィクションで進んでいく。
いま人々はIT技術でストレスを募らせていると言われている。しかしAI技術の発達で、仕事は簡単になり、さらに就業日数もへるかもしれない。しかしたぶん収入は減るだろう。すると「モノ不足、時間あまり」の中世への逆戻りになる。
人々は基本性能だけは完備された小さな部屋で、あまりものも買わずに、余った時間はタダに近いネットに費やし、できれば評判を得ようとするのだろう。
<まとめ>
1〜4で述べたことは、大部分もうすでに起きていることで、よく知られていることである。この文章は、これらの出来事が「新しい中世になった」という方向でまとめられるのではないか、ということでを試みたものだ。
この方向で考えるにしても、わからないことがたくさんある。
例えば、
・権威主義的リーダーの主流化は世界中の家族で家父長制が進んだ結果なのか。
・リベラルは今後どうなるのか。廃れてしまうのだろうか。
・人口が減少していく人口動態とどう関係していくか。
など。これらは今後も検証課題だ。
それにしても、堺屋太一のいう「ハイテク中世」というフレーズは、いろんな意味で現実に合っているという気がする。テクノロジーはものすごく発展していくのに、メンタリティや行動パターンは中世なのだ。