堺屋太一 東京書籍 2018.2.23
読書日:2024.11.11
いまから40年前、1985年に堺屋太一が、世界はこれから中世の価値観に近い世界になり、「ハイテク中世」の時代が来ると、予言した本。
トランプ大統領が再選したとき、「ああ、これからは本当に中世の時代が来るんだ」と直観した。世の中には、次の時代は中世になる、と主張した本がたくさんある。しかし、わしがまず確認したいと思ったのは堺屋太一の本だった。わしは出版された当時、この本を読んでいたく感銘を受けたのである。
知価革命が書かれたのは1985年で、バブルの直前である。この本では次のようなことが書かれてあるとされている。
・これからは知恵が付加価値の大きな部分を占めるようになる。
・少品種大量生産の時代は終わり、人々のし好の多様化に合わせて生産は多品種少量になる。
・ブランド価値で値段も大きく変わる世界になる。
・コンピューター・コミュニケーションの時代が来て、コンピューターは個人が買える安いものであるから、個人の知恵がダイレクトに価値に反映する。
これらはすべて実現している。残念ながら、日本はインターネットのプラットフォームを確立できず、すべてアメリカに持っていかれたけど。
しかし、まあ、今はそんなことはどうでもいいのである。堺屋太一は確かに1980年代からの数十年間の変化を具体的に予言したけど、それは些末なことで、氏がもっと大きな文明史観のなかで時代の変化をとらえた結果のことなのである。わしが感銘を受けたのもそこである。
では、堺屋氏はどのように時代を考えて、中世の時代が来ると判断したのだろうか。その思考の過程をたどってみよう。
氏は時代の変化は人の価値観が変わることだという。そして人の価値観も時代の状況によって柔軟に変化するというのである。これを氏は「人類の優しい情知」と呼んでいる。(優しい=やわらかい)
では人の価値観はどのように変わるかというと、その時代ごとに、「あり余るほど大量にあるものはそれをどんどん使うのがかっこいい」、「足りないものは節約するのが正しい」と信じることだという。これは単に経済的な話ではなく、それに合わせて倫理観も変えるというところがポイントだ。そしてそれは芸術の世界にまっさきに現れるという。
古代では、農業革命と奴隷制の確立で豊かな社会が到来した。物質的な豊かさがあるこの時代では、現実を直視する姿勢が顕著で、芸術も写実的な表現が特徴だ。物の価値が明確に定められて、同じ価値の物を交換する等価交換が基本になる。人は忙しく働き、時間が足りない世界でもある。「モノあまり時間不足」の世界だ。
この豊かな古代社会は、エネルギーを木に頼っていたため、森の消滅とともに終わりを迎え、中世の時代になった。中世は端的に言うと「モノ不足、時間あまり」の時代なのだ。
これまでたくさんあった物が不足するようになった。こうなると、不足する物を節約することが大切になる。物よりも精神の世界のほうが重要になり、祈りや瞑想を行い精神を豊かにすることが大切という価値観に変わる。その結果、宗教がはやり、仕事をする(=忙しくする)ということは格好悪いどころか、罪にさえなる。中世のころの労働時間は少なく、ひとりあたり年間1500時間以下だったという。
そして精神優位の中世の時代には、精神から生まれた、つまり思索や空想から生まれた絵画が真面目に描かれていた。存在しない植物や動物が真面目な図鑑に堂々と載るようになる。そして、人々の意見から数値による議論がなくなり、抽象的、感覚的な雰囲気が重視されたのだという。
中世の時代は今の価値観から見ると停滞していたように見えるけれど、当時の人にとってはそれが最先端のものであり、夢中で追いかけたものなのだ。そして、それは確かにその時代に合っていたのである。
中世が終わったのは、石炭という新しいエネルギーを使い、技術の進歩で財物の生産力が上がっていき、物があふれるようになってきたからである。つまり産業革命だ。こうして近代が始まり、大量生産で物があふれてたくさん消費するのがかっこいいことになった。
ところが世界は1970年代から閉塞感があらわになってきた。まずは、世界中に人間があふれフロンティアがなくなった。エネルギーが枯渇するのではないかという不安が出てきた。また、地球環境に負荷がかかりすぎて、このままでは地球の自然が壊れてしまうのではないかという恐れが出てきた。つまりは地球という空間が足りなくなってきたのである。こうして大量生産がかっこ悪いというふうに変わってきた。
ふたたび物ではなくて精神が重要なターンに変わったのである。つまり中世に近い感覚になっている。氏がその証拠にあげるのが、やはり美術の世界なのである。20世紀の中ごろから、具象的な絵画はすたれ、抽象的なイマジネーションの世界を描くのが主流になっている。
一方で、コンピューターの発達で、知恵を生むのが非常に安価になってきた。こうしてたくさんのひとがたくさんの知恵をどんどん生み、それを使い捨てにするのがかっこいいということになった。これが知価革命なのだ。
この本で重要なのは、「時代が変わるとき、まず最初に人の考え方が変わるのではない」、ということである。そうではなくて、まずなにか大量に安価なものがあるという状況が生まれるである。それに合わせて、「大量に安価にあるものをどんどん使うのがよく、足りないものを節約するのが正しい」という「ひとの優しい情知」によって、人の考え方、倫理観が変わるのだ。
つまり、次の時代に何があふれて、何が足りないかを考えることで、次の社会がどうなるのか、人々がどのような価値観を持つのかが、予想可能なのである。
堺屋太一氏の予想した「ハイテク中世」というのはおそらく正しい。しかし、それは単なる知価革命という範囲を越えて、予想以上に中世なのである。
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