鶴見太郎 講談社 2020.11.10
読書日:2024.10.19
なぜイスラエルは攻撃的な国なのか。その理由はイスラエルがウクライナを含むロシア帝国にいたユダヤ人が作った国であり、ウクライナで経験したユダヤ人に対する大虐殺、ポグロムにあると主張する本。
わしはこれまで、イスラエルという国は敵であるアラブに囲まれているから攻撃的なのはあたりまえ、と思って、そのこと自体はあまり不思議に思っていなかった。だが、著者の言う通り、逆に建国時にアラブ人と融和的な国にしてもよかったはずである。しかし、そのようにはならなかった。というか、イスラエル建国前からシオニスト(パレスチナのシオンの丘に帰ろうというユダヤ人)たちは、武装し、暴力的だったのだそうだ。
ということになると、イスラエル建国前のシオニズム運動にさかのぼって検証しなくてはいけない。それは19世紀後半〜20世紀初頭のユダヤ人の活動を見ていくということである。
このころ、ユダヤ人の大多数がロシア帝国内にいたんだそうだ。そして、ロシア帝国は非常に強力で、ポーランドの一部まで含んでいた。この広い領土内にいたユダヤ人の数は500万人以上で、割合は全世界のユダヤ人の半数以上だったという。(とくにウクライナに多かった。)というわけで、ユダヤ人の歴史を見るということは、このロシア帝国内のユダヤ人の動きを見るということでもある。
世界中に離散(ディアスポラ)したユダヤ人は自分の国を持たず他民族の国にいるわけだから、どのように自分たちの立場を確立するのかという問題にたえず直面する。この本ではいろいろなパターンでそれを分析しているのだけれど、単純に言うと、ロシア帝国内で必要とされる役割を果たしてロシアに溶け込もうとするリベラリズムの立場がひとつある。当時のロシアはヨーロッパの中では産業化で遅れているとされていた。その中で、商業を担っていたユダヤ人はお金を稼ぐ資本主義の中核にいるということで、ロシア内では期待されていたのである。ロシア帝国はそもそも多民族国家であったから、ユダヤ人だからという理由で迫害されることは比較的少なかったという。
こういう融和的なリベラリズムのユダヤ人の中では、パレスチナのシオンの地に作ろうとしたのは国ではなくて、世界に散らばるユダヤ人をまとめるための象徴的な施設を作ろう、というぐらいのものだったのである。
ところが第一次世界大戦のさなかの1917年にロシアに革命が起こると、ボリシェヴィキの赤軍と元帝国側の白軍とで内戦が起こる。どちらにもユダヤ人はいたわけだが、そのころ白軍が押さえていたウクライナの地で、ポグロムというユダヤ人の大虐殺が起きたのである。
ポグロムがなぜ起きたのか、いまいちよくわかっていないそうだ。ボリシェヴィキの指導層にユダヤ人がいるので、ユダヤ人は親ボリシェヴィキだという観念があったことは間違いない。またそもそもロシア人のなかに反ユダヤの感情があったことも間違いないだろう。それが内戦という危機的な状況で爆発したらしい。きっかけは、ユダヤ人の家からボリシェヴィキが発砲したことから、ユダヤ人は赤軍に協力しているという噂があっという間に広がったことだという。最初は偶発的に、しかし次第に組織的に虐殺が行われるようになった。なお、虐殺したのは白軍であり、地元のウクライナの農民たちがユダヤ人たちを助けようとした例はたくさんある。
ユダヤ人の虐殺はこれ以前にもあったわけだが、このときのポグロムは改めて、世界は残酷だという現実をユダヤ人に突きつけることになった。この結果、融和的なリベラリズムではなく、現実を直視するリアリズムを主張する次世代のシオニストが生まれることになる。リアリズムのシオニストは武器を手に防衛することを主張する。このような人たちが続々とパレスチナへ行き、最終的にイスラエルという国を建国したのだという。
まあ、イスラエルが攻撃的な国になった経緯は分かったけど、それにしても、10倍返し、100倍返しの攻撃をガザのパレスチナ人たちに仕掛けてもいいのかしら。このような軍事国家を永久に続けるのは大変厳しいよねえ。でも、その覚悟がイスラエルにはあるんでしょうけどね。
★★★★☆