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脳科学で解く心の病 うつ病・認知症・依存症から芸術と創造性まで

エリック・R・カンデル 訳・大岩(須田)ゆり 監修・須田年生
読書日:2024.9.11

学習と記憶の仕組みを解明してノーベル賞を受けたカンデルが、心の病から創造性まで、心の活動には脳の生物学的基盤があることを解説する本。

非常に幅広い範囲を取り上げているのだが、いろいろな心の病や精神現象を関連付けながら脳について解説していくので興味深く、わしには楽しく読めた。

カンデルは1929年生まれというから、この本を出したとき(2018年)、89歳ということになる。ものすごい大ベテランであるが、この本からは知的な衰えは感じられない。いまだに第一線の研究者らしい。すごすぎる。

そもそも心の研究を始めたのは、ヒトラーがウィーンを占領したときに脱出した経験だったというから、一体いつの話だ、という感じである。精神科医になったが、このままでは難解な心の仕組みはわからないと、脳細胞の基礎的な研究に転じる。以来、心を生物学的な基礎から理解しようと研究を積み重ねてきた。

脳を生物学的に理解するときに参考になるのが、心がうまく働いていない状態の理解だという。どこがうまく行っていないのかを知ることで、脳の働きを知ることができるのだ。

最初に取り上げるのは、自閉スペクトラム症である。自閉スペクトラム症とは社会脳の仕組みがうまく働いていない症状なのだという。

ここで、わしはちょっとショックを受けた。わしはてっきり社会脳とは人類学の言葉だと思っていたのだ。なぜヒトがネアンデルタール人より優位なったかという説明に、社会脳(仲間とうまくやっていく能力)の差だったと言われることが多い。社会脳仮説と呼ばれる。

ところが、社会脳とはもともと生物学の言葉で、社会的な活動をするときの脳の各部分がどのように連携しているかという研究から来ているのである。そしてもちろんその研究の元になっているのが自閉スペクトラム症の研究なのである。

わしらは人を見て、そのひとが実際には何を考えているかを全体を見て悟ることができる。ところが自閉スペクトラム症のひとは、その気付きがまったくないのである。人が何かをいうとその言葉のまま受け取り、それが本心なのか、ただの皮肉なのか、ジョークなのか理解できない。

自閉スペクトラム症の研究はたいへん進んでいるという印象だ。うつ病もかなり進んでいる。一方、統合失調症の場合はまだ始まったばかりと感じた。

わしは統合失調症というのは、現実とありえない幻覚を本当に起こっていることだと認識する病気だと思っていたが、それは単なる1つの現象にすぎないらしい。

統合失調症には3つの症状があるんだという。1つ目は幻覚でこれは陽性症状という。2つ目は自分だけの世界に閉じこもることで、これは陰性症状と呼ばれる。3つ目は理解や判断ができなくなる認知機能障害である。これらは現実認識に関係するどの部位が影響しているかを反映しているらしい。

興味深いのは「シナプス刈り込み」という現象が、自閉スペクトラム症統合失調症とでは逆になっていることだ。シナプス刈り込みというのは、生まれたときに過剰にあった脳のシナプスが成長とともに使用されていないシナプスを除去していく仕組みのことだ。自閉スペクトラム症ではこの刈り込みが十分行われない。一方、統合失調症では刈り込みが過剰に行われて足りない状態になっている。(だから情報が足りなくて、脳は幻覚でそれを補っているのではないか。ちょうど睡眠中に感覚が遮断された脳が自分で幻覚を作り出して夢を見るように)。

次に記憶の障害として、認知症を取り上げている。ここではアルツハイマー病の原因がアミロイドβの蓄積に由来するという、従来の理論を踏襲している。(アルツハイマー病についてはアミロイドβが原因でないという考え方が優勢になりつつあるようなので、注意。詳しくはこちら)。アミロイドβはタンパク質の折りたたみがうまく行かないというのが原因だ。パーキンソン病でも同じようにタンパク質の折りたたみがうまく行かずに起こるが、別のタンパク質である。タンパク質の種類によって異なる障害が出ることがわかる。

創造性については、我々は誰もが創造性を有している。しかしなかなかそれが発揮されることはない。なぜなら、脳の機能は各部位がお互いに相手を牽制してバランスを取っているからだ。普通の人間が創造性を発揮するには大変な努力が必要だ。ところが脳の特定の部分に障害があると、この牽制がうまく働かず、もともとの創造性が発揮されることがあるのだという。したがって精神障害のひとの芸術作品を、健常者が参考にすることがある。シュールリアリズムの画家は、そういった作品を参考にした。ピカソは子供の絵を参考にして、子供のように絵を描く練習をしたそうだ。

性自認が身体の性と異なる問題については、生物学的に男女に分かれるときと脳が男女の脳になる時期がずれているために起きるとか、報酬系の障害である依存症についても説明している。

倫理的な判断は理性的な前頭前皮質だけでなく、自分や他人の感情的な部分を担う部分でも行われている。サイコパスは明らかにこの回路が壊れていて、前頭前皮質のみの冷酷な計算だけで行動ができるという。

最後にカンデルは意識について述べている。意識についてはいまだに難問であるという。しかし、精神分析の理解が正しいことが分かったという。つまり、意識の下には膨大な無意識の領域が広がっているということである。意識とは脳が無意識で処理している膨大な内容の結果のたったひとつのことに注目している存在に過ぎない。無意識で処理したことの一つが脳全体に伝搬して、脳の各部がそれを参考に様々な処理をすすめる。それが意識らしい。しかし分かっているのはそのくらいで、大きな謎が残っているという。

脳のイメージング技術はこれからもどんどん発達していきそうだから、脳の生物学的な理解はどんどん進んでいくだろう。これから数10年は脳科学にとっては発見の連続の時代になるに違いない。楽しみだなあ。

個人的には、うつ病はちょっとわからないけど、自閉スペクトラム症統合失調症サイコパスのかなりの部分は病気という感じがしないんだよね。ヒトの健全なバリエーションの一部なんじゃないかしら。

★★★★☆

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