ヘタレ投資家ヘタレイヤンの読書録

個人投資家目線の読書録

バチカン・エクソシスト

トレイシー・ウィルキンソン 訳・矢口誠 文藝春秋 2007.5.30
読書日:2024.7.22

イタリアは350人(2007年当時)のエクソシストがいて、何千人もの信者に悪魔祓いを行っているエクソシスト大国であり、ローマ・カトリック教会のお膝元で行われている悪魔祓いの実態を報告する本。

最近、「エミリー・ローズ」という悪魔祓い関係の映画を観て、その関連ですでに古典のフリードキンの「エクソシスト」も観たので、エクソシスト関連本を探してみたのだが、これが意外に少ない。もちろんキワモノ的なものはあるのだが、普通にドキュメンタリーとして実態を描いたものが少ないのである。その点、この本は素直に事実を書いていて、好著だった。

しかしながら、読み始めていきなり驚くのは、イタリアでは多数のエクソシストが普通に存在しており、カジュアルな感じで悪魔祓いが行われているということである。日本でなら精神科に行って統合失調症と診断されそうな人でも、カトリックの司祭に相談し、自分のことを理解してくれるエクソシストを探し出して、悪魔祓いをお願いしている。悪魔祓いが終了するには何年もかかる場合もあり、毎週のように通っていたりする。実に日常によく溶け込んでいるのである。

しかし悪魔祓いをしているということになると、まわりの人はどう思うのだろうか。これが不思議なことに、悪魔祓いをしている方が、精神科の医者に通っているよりも、世間的な納得があるのである。精神科なら本人が病気ということになり、なんだか個人が悪いみたいである。でも悪魔だったら、本人にはどうしようもない事と認識されるようなのだ。このへんは北方のゲルマン系、アングロサクソン系のプロテスタントの国々とは大きく違うところで、さすがはイタリアと納得してしまいそうだ。

そして、もちろん、カトリックの司祭たちが悪魔を否定するはずがないのである。神がいるのなら、悪魔も実在するのである。

それは教皇のレベルからしてそうなのだ。20世紀後半の教皇ヨハネ・パウロ2世は生前、何度も「悪魔は実在している」と明言している。それどころか教皇自身が何度も悪魔祓いをやっている。(しかも1回は失敗したのだそうだ(苦笑))。

では具体的にエクソシストはどのような体制になっているのだろうか。

悪魔祓いの典礼(儀式の内容をまとめたもの)は16世紀に書かれた。『ローマ典礼儀礼書』がそれだが、その後380年間まったく変わらなかったのだそうだ。1999年に現代に合わせて90ページの新しい文書が作成された。『悪魔祓いとある種の嘆願について』という文書である。(書いたのはバチカン典礼秘跡省)。

この文書は司教がエクソシストを任命することを明確にしている。つまり、悪魔祓いを取りまとめているのは各教区の司教なのである。司教とは教区の司祭を管理しているものであり、任命された司祭が(あるいは司教自身が)、エクソシストとして悪魔祓いを行う。

そうすると悪魔祓いに理解がある司教かどうかで、まったく悪魔祓いに対する環境が異なってくる。なので、悪魔祓いを希望する信者はわざわざ希望する地区まで出向くこともある。

また、この文書は、精神病と悪魔憑きを区別して、最大限の慎重さと注意深さをもってことに当たるように司祭に勧告している。しかしこの区別は昔からのエクソシストには評判が悪いそうだ。なぜなら、仮に精神病だったとしても、悪魔祓いをしてなにか悪いことが起きるはずがないからだ。(実際には患者の妄想を促進する可能性があるのだが)。

しかし悪魔祓いをしてもらっている信者のうち、本物の悪魔憑きの事例はどのくらいあるのだろうか。実際にはほとんどないと、高名なエクソシストたちも認めている。しかし、そのうちのいくつかは、本物の悪魔なのだ。多くの司祭が、自分は本物の悪魔に出会ったことがある、と確信している。

エクソシストに任命される司祭も、喜んでやるとは限らない。というか、いやいや引き受ける司祭もいる。とてつもない精力が必要な上に、ヘタをすると何人もの信者を引き受けてしまい、悪魔祓い専門の司祭になってしまうからだ。

逆に、人々を助けるために、エクソシストに志願する者もいる。最近のエクソシストの需要増加の影響で、大学(教皇庁立レジーナ・アポストロールム大学)でもエクソシストについて教えるようになった。4ヶ月にわたって様々な専門家の講義が行われているという。

なんとも不思議な現代イタリアのエクソシスト事情だ。ちなみに、翻訳した谷口さんが調べたところ、日本の教区では悪魔祓いは行われていないそうです。うーん、ちょっと残念。

***悪魔を見分ける4つの指標***
(1)人間の能力をはるかに超えた力を発揮する。
(2)本人が持っている声とまったく違う声で話す。もしくは被術者が知るはずのない言語を話す。
(3)遠い場所で起きていることや被術者が知り得ない事実を知っている。
(4)聖なるシンボルに対して冒涜的な怒りや嫌悪を感じる。

★★★★☆

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