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タテ社会と現代日本

中根千枝 講談社 2019.12.1
読書日:2024.7.7

日本のタテ社会の構造を発見した中根千枝の入門書。

いちおう入門書的な扱いになっているけど、まあ、これで十分な内容が含まれているんじゃないかな。社会生態学者の中根千枝がタテ社会について発表したのは1960年代のようだけど、まったく古びていなくて新鮮に読める。いまの日本に起こる社会的な事件にも十分対応できる、歴史の風雪に耐えてきた理論なのである。

タテ社会とはなんなのだろうか。

同じ場所にいる少人数がつながって構成している社会のことで、ひとつの集団の人数は6、7名なんだという。日本の会社では課に当たるくらいの人数である。そこでは階級とか年齢は関係ない。血縁かどうかも関係ないし、さらには外国人であるかどうかも関係ない。同じ場所にいることが大切であって、中根千枝はそれを「場」と呼ぶ。

では、この少人数のグループ内の序列はどうなっているのかというと、すべてはこの場に入ってきた順番なのだという。どんなに年齢が上だろうと、そのグループに最初に入ったときはすべて「新入り」である。つまり、「先輩・後輩」の関係が基本になる。

したがって、グループのもっとも古いメンバーがそのグループのリーダーになる。そしてリーダーは他のグループのリーダーたちと別のグループ(場)を作っている。つまり少人数のグループが樹形図状につながっているのが日本社会の構造なのである。

この序列というのはタテ社会では絶対で、たとえばリーダーを飛び越えて直接更に上の序列のものに直接交渉することは許されない。たとえば、一般社員が課長になにも相談せずに部長や専務と交渉することは許されない。また別のグループと交渉するのに、上の序列を通さずに行うことも許されない。たとえば、隣の課と交渉するには、自分の上の課長を通して交渉先の課長と相談してもらうという形を取る。その他のルートは許されない。

この少人数のグループは、同じ場所にいるということが基本である。だから毎日顔を合わせる必要がある。その場所に居合わせていないと、だんだんグループのメンバーから外れていってしまうのである。つまり、去る者は日々に疎し、ということになる。

そしてメンバーにとっては、この少人数のグループこそが社会そのものである。なので、メンバーが集って愚痴をいうのは、そのグループの運営に関してであって、もっと大きな組織のぐちになることはない。つまり、メンバーは課長に対する愚痴を言っても、社長の経営方針に対する愚痴は言わない。

このメンバーにとっての社会(世間)というのは、この少人数のグループのことなのである。このグループに所属していることが必須なので、このグループのルールに逆らうことはありえない。

このタテ社会にいるものは長くいるほど有利である。そして転職して別のグループに入ると、また新入りから始めなければいけない。だから日本社会では、転職は非常に不利になる。なので、日本では転職は盛んにならない。

タテ社会ではリーダーは最も古いメンバーになるから、すべての序列はほぼ年齢に依存する。つまり年功序列となる。一方で、なにか特殊な技能を持っているからといって優遇されるわけではない。だから、専門的な人が他の人達と比べて高い給料をもらうとか権力を持つということはない。

というわけで、このタテ社会で古株になるとものすごく過ごしやすい社会なのである。さらにこの序列さえ無視しなければ、各人の行動は比較的緩やかで、自由であるとさえ言える。

このような特徴をもつタテ社会であるが、おそろしいことに、中根さんは世界中の社会を見てきたが、日本のタテ社会の構造に相当する社会は他に存在しないという。日本にしかない社会構造なのである。

タテ社会があるとはいうことはヨコ社会もある。というか、日本以外の社会はヨコ社会である。日本以外の多くの社会では階級があり、同じ階級同士でつながっている。例えば、イギリスでは上流階級とか労働者階級とか同じ階級同士でつながっていて、上下では混じり合わない。しかし同じ階級同士ならすぐに打ち解けあって仲良くできる。

また階級があることが生活の上での悲惨さにつながってはいないという。インドでは最下層の階級の人たちも別にそのことを悲惨と思ってはいないという。なぜなら同じ階級の中では仲間がたくさんいるからだ。

ヨコ社会は何かというと、単純に血縁の延長なのである。インドでは娘が嫁に行っても、血縁の者たちがたえず娘の様子を確認しているという。なので、嫁いだ先の家にも常にプレッシャーが掛かる。いっぽうで日本では血縁がさほど重視されないという。養子をとって家を継がせるということが、日本ほど行われているところはないそうだ。

ヨコのつながりの構造は仕事でも同じ構造をとる。会社とは無関係に、同じ仕事をしている人たちの間にはヨコのつながりがある。日本では会社を退職したとたんに孤立してしまうけれど、そのようなことはヨコ社会ではない。なので、転職は比較的スムーズである。

ヨコの繋がりのことを中根千枝は「資格」と呼ぶ。

さて、日本ではタテ社会で、小集団のグループが樹形図状につながっている。そこで、日本独特の現象も起こる。日本では日本のトップが決めた方針は末端まで速やかに浸透するという性質だ。江戸幕府はそのような社会の構造を利用して、非常に低コストで日本全体をコントロールしていたという。

それは現代でも有効である。コロナパンデミックでも遺憾なく発揮された。政府の方針は速やかに日本全体に浸透した。外国では、政府の方針に反対してデモも起きたが、日本ではSNSに不満が挙げられるのみで、大きな騒ぎにならなかった。

いかがだろうか。

かつて、昭和の一時期、「日本論」「日本人論」が流行ったことがある。それは、当時、非西洋人の日本のみが近代化に成功し西洋と肩を並べたことをどのように理解したらいいか、日本人自身が分からなかったからなのだろう。現代では、日本以外のアジアの国々が成功しているから、そのような風潮はなくなってしまった。しかし、タテ社会に関しては、アジアの他の国と比べても特殊な構造なのである。日本社会は本当にオンリーワンの社会だったということがはっきりしてしまった。

これがいいかどうかは別にして、これを無視して日本でなにかしようとしてもうまくいかないだろう。たとえば年功序列はバカバカしいと思っても、どうあってもこれは残ることは明白である。成果主義的賃金制度とかいっても、年功的な要素は必ず残るだろうと予想できる。

したがって、これは変えようがないだろうから、無理やりなにかするのではなく、できるだけうまく運用するのが得策ということになるだろう。いろいろあるだろうが、中に入ってしまえば、これぐらい楽な社会もないだろうし。

この社会構造の弱点は自分たちの所属する小集団以外への関心が極端にないことで、たとえば貧困者に対してとても日本は冷たい。タテ社会の構造を理解しつつ、タテ構造からあぶれた人たちを結ぶタテでもヨコでもない、ナナメの社会関係を充実させることができればよいのだが。そういうナナメの関係も最近は増えている気がするのだが、皆さんはどう思うだろうか。

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