イヴァン・ジャブロンカ 訳・村上良太 明石書店 2024.3.15
読書日:2024.7.5
家父長制というシステムが何万年もの間人類を支配していたが、フェミニズムの発展により女性の権利が拡大され、さらに男性にとっては挫折しやすい社会になり、新しい男性性を模索すべきだと主張する本。
フェミニズムの方にはあまり興味がなくて、じつは家父長制に興味があってこの本を手に取ったのだった。題名に「人類史」と入っているところが、わしにとってはポイントだった。
わしは家父長制の起源が気になっているのだ。多くの人類学者と同じように、わしはもともと人類は家父長制ではなかったと考えているので、なぜ家父長制が人類の主流になったのか、ということに疑問を持っているのだ。主流というか、ジャブロンカによれば、そもそも現代では世界のどこにも女性優位の社会はないのだそうだ。
というわけで、ジャブロンカの説明を見ていくわけだが、ちょっと残念なのは、ジャブロンカは歴史学者なのであって、家父長制の起源について特に自説を持っているわけではなさそうなことだ。ジャブロンカ自身も人類学者や考古学者などの考えをまとめるにとどまっている。まあ、それは仕方がない。でも、たぶん、彼の説明する説がきっと世間で認められている家父長の起源ということになるだろう。
では、ジャブロンカの説明する家父長制の起源について見ていこう。
まず、生物学的に男と女はほとんど違わない。大きさもほとんど同じで、その能力も大きな差はない。違いは性的な部分のみに限られる。つまり、女性は子供を産むということである。身体も性的な部分は大きく違う。
そして、わしらは男と女を強烈に区別する。社会的な規範は男と女で大きく違うのである。この違いは小さいときからずっと教え込まれ、刷り込まれる。これがジェンダーであり、ジェンダーは生物学的なものではなく文化的なものである。
さらに、ジャブロンカは女性であることのコストについて説明する。つまり女性は子供を産まなくてはいけないし、産んだあとも子供に関わり続けなくてはいけない。その間、行動は制約される。男性との大きな違いである。
わしは、どうも子供を産み育てることを「コスト」と表現することに違和感を覚える。コストという表現には、本当は産みたくないんだけど、というような意識が入っているような気がする。でも、かつては子供を産み育てるということはコストではなくて、逆に男性に対するとてつもない優位だったのではないか、と思う。そういうわけで、わしが石器時代でイメージする社会は、どちらかというと女性が威張っていて、男性はその周りでうろちょろしているようなイメージだ。
ジャブロンカもそういう社会があり得る、と言っている。ボノボという類人猿は、メスが団結してオスを支配している社会を作っている。人類もそうだった、と言えないことはないだろう。
ともあれ、ジェンダーという男と女を区別する社会的構築物が人類の誕生からあったことは間違いない。そうすると、これがどのように男性優位につながっていくのだろうか。ジャブロンカは、ジェンダーにより、男と女の仕事の「役割分担」が生じたというのである。
おおまかには次のようだ。生活の中心になるような仕事は女性が、不確実でリスキーな仕事を男性が担った、ということである。
食料では女性は確実な採集を行い、男性は成果があるかどうかが分からない狩猟を担う。工芸では、女性は生活に直結した衣服のような柔らかいものを作り、男性は石器のような硬いものを作る、といった具合だ。
これがどういう意味を持つのだろうか。
人間の社会は動物と違って、いまも昔も知識社会で、新しい知識が力になるという傾向がある。女性の仕事は確実だが不確実な試みが少ない分、新しい知識の増え方が男性よりも少ないと言えるだろう。男性の仕事は、不確実でリスキーだが、新しい道具を作ったり新しい土地を訪れたり、失敗もするけど知識の増える行動パターンだった。トライ・アンド・エラーが許されるのだ。
最初はその差は小さかったかもしれない。しかし、それが累積的に積み重なると、非常に大きな差になったのだろう。知識は知識と組み合わせて新しい知識を生み出すという性質がある。だから知識が増えるほど新しい知識の増え方が大きくなる。
例えば、狩猟に使う道具は最初は殺傷能力は低かったかもしれないが、だんだん性能は高くなっていっただろう。それはすぐに「武器」になることは明白だ。
獲物を求めて遠くまで行くようになると、新しい土地の知識を得られる。あるいは別の部族とも出会うだろう。周辺の部族との接触は男性の役割だったのではないか。すると、新しいニュースや知識は男性がもたらすことが多かったと予想できる。
重要なのは、ジェンダーの垣根によって、女性の方も、あれは男たちの仕事だから、と男性の知識の累積には積極的に関わらなかったであろうことだ。だから新しい知識は、男性が独占していった可能性が高い。
というわけで、ジャブロンカによれば、少なくとも旧石器時代の紀元前2万年頃にはこうした役割分担が確定したという。わしの思うに、もっと前に確定したのではないか。たぶん人類が誕生してすぐに役割分担があったと思う。
紀元前1万年くらいに新石器時代に移行するとこの役割分担はさらに進められ、紀元前9000年ごろに農業が発明されると、開墾、耕作、道具を使った作業、動物を使った牽引作業、住居の建設などの作業は男が独占するようになったという。つまり、男はどんどん新しい職業を生み出して従事するようになった。こうして男性の専門職化が進んだ。
これに対して、昔からやっている女性の仕事は代り映えしないということになり、男性の新しい仕事の前には低級な仕事とされてしまう。
定住するようになると、出産数は増える。その結果、女性は移動生活のときよりもずっと長期間、子供の世話をするようになる。その他の専門的な仕事はすべて男がするようになる。男は権力の源となる財源を独占するようになる。
紀元前2000年頃に初めて、狩猟の道具の転用ではなく、武器としての機能しか持たない本物の武器が作られたという。それは戦争に使われた。武器を用いたのはもちろん男である。それに馬という高速で移動する手段も男は手に入れた。
国家が誕生した時、その王は間違いなく男だったという。というか、国家とか宗教とか、そういうシステム自体を考えたのも男だったのだろう。文字を考案し、文字や数字で人々を管理する仕組みや、たぶんお金を考えたのも男なのだろう。
知識はさらに知識を生み出す。それはまるでお金の複利計算のように。こうして複利で増えていく知識に女性はまったく追いつけなくなった。
ジャブロンカは、何かを独占する物がある時、必ず家父長制が腰を下ろすという。土地、穀物などを所有し独占するという概念が作り出された時、女性も子供も所有する財産となった。こうして家父長制が完成する。
なるほど、新しい知識が男の範疇で、ジェンダーの垣根が女性がそれを活用するのを阻め、それが家父長制をもたらしたというのは、それなりに納得感のある説明である。
このあとこの本では、家父長制の長い歴史が続いた話、家父長制に対抗するフェミニズムが起こった話、さらには近年の産業の第3次産業化により男性の権威が落ちていき、男性の挫折が起きているといった話が続く。今後、新しい男性性が生み出され、家父長制は弱まっていくというのがジャブロンカの見立てだ。
わしはいままで何度も述べたように、これからは食料、住居、教育の無料化が進むと思っている。これはすべての人に自由を与えるということである。それにはすべての女性も当然、含まれるから、わしも家父長制は自然と弱まっていくだろうと思っている。
しかし、これはリベラルな国で起こっていることで、権威主義的な国家、中国、ロシア、イランなどのユーラシア大陸の中心の国では逆のことが起きている。エマニュエル・トッドによれば、このような強化された家父長制はどんどん周辺部を侵食しており、周辺部の男女平等的な価値観の世界は負けつつあるのだそうだ。確かにこれまでの傾向はそのとおりだ。
というわけで、わしの予想では家父長制は長期的には消える運命にあるのだが、現実はその反対の状況を示している。だけどまだ決着が付いているわけではない。今後、権威主義的な国々との文化的な戦いが、最終的な人類の帰趨を決めるのだろう。
ジャブロンカはじつは自分が男性であるということにずっと違和感を抱いていたんだそうだ。だからいつか自分がトランスジェンダーして女性になっていたとしても不思議ではないという。まあ、こういうジェンダーにまつわる本を書くくらいだから正直に表明したんだろうけど、別に書かなくてもいいのにと思った(苦笑)。
★★★★☆