オルダス・ハクスリー 訳・黒原敏行 2013.6.20 光文社 2013.6.20
読書日:2024.6.12
(ネタバレあり、というか内容はだいたい知ってるよね?)
2540年の未来、戦争はなく平和な時代で、人類は安定的な階級社会を作っている。子供は工場で生産され、睡眠学習による条件付け学習で自分の階級は幸福だと洗脳され、気分はソーマという薬でコントロールし、死ぬまで若さを保てて、特定のパートナーを作ることなくフリーセックスが推奨されている。そこに、工場ではなく人間から生まれたジョンがインディアン居住地で発見され、「すばらしい新世界」のイギリスにやってくるのだが……。幸福な全体主義の世界を描いた古典的SF。
古典SFを読もうというシリーズの一環で、ようやくこの本を読みました。もちろん大体の内容は知っていたのですが、実際に読むと、とても1930年代の作品とは思えないくらいにぶっ飛んでいて、面白かったです。
いきなり子供の生産工場のシーンから始まって、この世界の成り立ちの根本が語られます。子供はすべて人工子宮(単に「壜」と呼ばれる)で誕生します。したがって両親はいないので、「母親」とか「父親」という言葉自体が卑猥な意味になっていて、その言葉を聞くと顔を赤らめる、などという細かいところがとても良く考えられています。
逆に、我々が卑猥と思うようなフリーセックスは、まったく卑猥ではありません。それどころか毎日を楽しく過ごすために推奨さえされています。子供を作り育てる必要はないので、結婚という制度はもちろんありません。さらにはずっと同じ相手と過ごすことにも否定的です。相手を随時変えることが推奨されます。そして死ぬまで若い容姿を保てるので、生涯、青春なのです。死は克服されていませんが、死を怖がらないように条件付けされ、教育されているので、皆、それほど怖がっていません。
この未来社会では、階級があり、胎児の頃に誰がどの階級になるか選択されます(アルファ、ベータ、ガンマ、エプシロンとギリシャ語のアルファベットで呼ばれる)。でも、この階級は別に下の階級を奴隷としてこき使おうというものではありません。
確かにアルファ、ベータ階級は知的な労働に従事し、ガンマ以下の下層階級は肉体的な労働を行いますが、実はこの社会ではそもそも労働は必要ではありません。しかし労働時間を1日3時間に減らすと社会がうまく回らなくなったそうで、わざと労働時間を7時間ほど取っているのです。そのせいか、上のアルファから下のエプシロンまで、どの仕事もほとんどどうでもいいような仕事(ブルシットジョブ)のようです。食料も人工合成できるので農業すら必要ないのですが、仕事を作る必要があるので、26世紀でも農業をなくしてはいません。
では、なぜ階級があるのかというと、どうもそのほうが社会が安定するという理由のようです。26世紀の世界は社会の「安定性」が最大の価値で、安定性を損ねるようなものを極力排除するのです。キプロスでアルファだけの世界を作って実験したら内戦が起き、やっぱり階級が必要となったのです。
そのせいか、どの階級に生まれても取り立てて不幸というふうにはなっていません。どの階級になっても自分の階級が一番で、他の階級にならなくてよかったと思うように条件付けがされます。
社会の安定性に最も貢献するのは、やっぱり精神薬ソマーでしょう。うつになったらソマー、怒りを覚えてもソマーで、ネガティブな気分はすべてソマーで解決されます。労働者たちは、仕事が終わるとソマーを配布される列に並びます。ソマー依存症になっているので、ソマーが与えられないと暴動が起きるのですが、それも鎮圧部隊がソマーの霧を噴霧すると収まります(笑)。
このようにあらゆる手立てを尽くしても、ときどき社会の安定性を損なうような事が起きます。もっとも知的なアルファの人たちの中に、社会を批判したり、自由を口にするものが現れるのです。こういった自律性、独自性こそ、この社会の最大の敵です。このような者たちは排除されなくてはいけません。とはいっても、命を取られるほどのことはなく、単に離島へ島流しにされるだけです。他人に聞こえないところでいくらでも吠えてくれ、というわけです。
じつはこの社会ではアルファすら教養的な教育はまったくされません。過去の書物は厳重に金庫に保管されて、最高権力者である世界統制官しか読むことができません。
話の後半に、母親から生まれて、昔ながらの暮らしをしているインディアン部族の中で育った野蛮人ジョンが登場します。ジョンはシェークスピアの本を読んで育ったのですが、それだけでジョンはほとんどのアルファよりも知的で、最高権力者の世界統制官と対等に議論ができます。(まあ、シェークスピアを読んだだけで本当にそんなに知的になれるのかどうかという疑問はありますが)。
さてどうでしょうか。
このSFはいちおうディストピアを描いたものということになっています。しかし単純にディストピアと言ってしまっていいのか、わしは疑問に思います。フリーセックスはともかく、食事と住居が確保されて、死ぬまで容姿も変わらず、なによりソマーを飲んでいれば気分良く暮らせるということであれば、悪くないと思う人も多いのではないでしょうか。特にソマーはほしいと思う人も多いのでは?
わしは食料と住居などは無料化をすべきだと思っていますので、なかなかいい社会だと思ってしまいました。(笑)
ハクスリーの洞察には驚くことも多いのですが、人間には労働が必要だということと、社会には階級があったほうが安定する、というのは確かにそうかもしれないと思わせるものがあり、説得力があります。こういうシミュレーションができることがSFのもっともよい価値ですよね。
さて、問題は、ハクスリーのような「すばらしい新世界」の社会システムを作れば本当に機能するのか、という点にあると思います。わしは読んでいて、これは機能しないだろうな、と思いました。社会構造的な深い部分でなくて、日常生活のもっと些末なところで。それは例えば次のようなところに現れます。
フリーセックスのところで、登場人物のひとりバーナード・マルクスはぜんぜん女性にモテず、親友のヘルムホルツ・ワトソンが女の不自由していないことを羨みます。つまり、フリーセックスの世界ではモテる男にはたくさんの女が集まり、モテない男のところにはまったく集まってきません(逆もあるでしょう)。こうしてモテと非モテの差が極端に開いてしまうのです。結婚があるわしらの世界では、結婚すると倫理的なハードルから既婚者はそれなりに競争から外れてくれますが、この新世界では結婚がなく見た目は高齢でも若いので、常にすべての人が競争相手のままです。このモテと非モテの問題がひとつ。
つぎに野蛮人ジョンがイギリスにやってくると、とたんに有名人になります。そうして、たくさんの人がジョンに会いたがります。なぜ彼らはジョンに会いたがるのでしょうか? それは単純に自慢になるからでしょう。周りから、すごい、ヤバい、と言ってほしいのです。これは有名人と一緒に写真を撮ってSNSにあげる現代人と何ら変わりません。(その結果、ジョンとのパーティを取り仕切ったバーナードは、パーティに呼んでほしい女にモテまくるというおまけまで付いてきます)。つまり、この未来世界でも強烈な承認欲求から逃れられないということです。この承認欲求がやっぱり強力であるという点がひとつ。
ジョンは結局、周囲に人がいない灯台に住むことにします。するとこの世界にもタブロイド紙というものがあって、記者がジョンの姿を写真に収めようと非常に苦労を重ねて、ついにその姿を写真に収めます。その結果、ジョンのもとにたくさんの見物客が押し寄せて、耐えられなくなったジョンが自殺するという結末を迎えるのですが、ここで重要なのは、ゲスな覗き趣味を満足するためにいかなる苦労もいとわないタブロイド紙の記者がいるということです。こういう覗き趣味というのは、あらゆる権威を茶化すものです。それが最高権力者であっても。
モテと非モテ、承認欲求は社会の不満を作り出すでしょう。そしてその不満が、権威を否定するかのような覗き趣味と結びつくと、ときとして大きな力を発揮して、社会が不安定化するんじゃないでしょうか。
そうならないように、ソマーという精神薬や睡眠学習による条件付け、あるいは定期的に行われる団結儀式があるのでしょうが、そういった技術を駆使しても、モテと非モテ、承認欲求、覗き趣味は抑えられていないのです。
つまりは、幸福な全体主義社会を作り維持するのはとても難しく、それでも全体主義を維持するなら、結局、抑圧的、強権的、恐怖による統制というお決まりの結末を迎えるのではないかという気がするのです。
最後にちょっと思ったのですが、日本の江戸時代は幸福な全体主義だったと言えるのでしょうか? もしそうなら、日本は幸福な全体主義をすでに経験済み、ということになりますね。
★★★★★