ヨハン・ハリ 訳・山本規雄 作品社 2024.2.20
読書日:2024.5.30
うつ病に悩まされてきたジャーナリストのヨハン・ハリが、プロザックなどの抗うつ剤に科学的根拠はないという驚くべき事実を知り、近年のうつ病は社会的な原因によるものが増えており、その解決策は人の絆を回復させることだと主張する本。
ハリがうつ病について調べ始めたとき、シンプルな解答を求めていたんだそうだ。たとえば、最新の抗うつ剤の〇〇を飲めばオーケー、みたいな。ところが取材を始めていきなり抗うつ剤には科学的根拠がないという事実を知り、驚くのである。
プロザックなどの抗うつ剤で言われていることは次のようなことである。脳内でセロトニンという物質の量が減るとうつ状態になる。なのでセロトニンの吸収を阻害する薬(選択的セロトニン再取り込み阻害薬、SSRI)を飲めば、セロトニンの量は減らず、うつは改善する、と。実にシンプルで明快な解答である。
ところが調査してみると、セロトニンの量がうつと関係するという科学的根拠はきわめて薄弱なんだそうだ。ここが間違っているとすると、そもそも抗うつ剤が効くはずがない。
ハリも驚いたそうだが、この話には、わしも驚いた。そんなことがあるのだろうか。
似たような話は最近、痴呆についても読んだ。脳内に蓄積するアミロイドβが痴呆と関係ない、という話である。
こうしてみると、思っていた以上に、医学界では、お花畑みたいな仮説がまかり通っているようである。こんなに根拠薄弱な仮説が長年通用している医学は、本当に科学なのか、という気すらする。
ハリがうつについて調査を始めたのは、自身がうつに悩まされていたからである。そして、じつは著者のハリ自身が、長年、プロザックを服用してきて、プロザックには効果があったと実感している。彼だけではない。多くの患者もプロザックに救われたと感じている。では、これは何なのか。答えはプラセボ効果(偽薬が本当に効くこと)なのだという。
本当なのだろうか。薬として承認されるには、治験をおこなって、プラセボと比較して有意な効果が認められたからではないのか。
ところが、抗うつ剤の治験のデータを再確認してみると、その効果は比較対象の砂糖と比べて、ほとんど変わらないのである。あまりに効果の差が小さいので、プラセボのほうが効果があったというデータすらある。(もちろん、そのようなデータは承認申請には使われないのだが。)
じつは精神医学ではプラセボが非常によく効くのである。気分の問題だから、本人が効いたと思うと本当に効果があるのである。
こうして抗うつ剤は、最初はよく効いていても根拠がないのでじきに効かなくなる。そうすると、そのたびに服用量を増やしていき、それでも効かなくなると別の薬に変える、ということを繰り返す。実際にハリもその経過をたどっていったのだそうだ。
効果はプラセボでも、副作用は本物である。プロザックは太るという副作用がある。おかげでハリは、プロザックの服用で体重が100キロを超えたのだという。(なので、うつは治らない上に、太ることで健康を害してしまう可能性が高い)。
では、うつの本当の原因はなんなのだろうか。原因としては、生物学的、心理的、社会的な原因の3つがあるという。
生物学的原因というのは、先程の脳内化学物質や遺伝で説明できる部分である。セロトニンによる説明は根拠薄弱だとしても、化学的な均衡が崩れたからという理由はありえないことではない。遺伝というのも有意にうつと関係がありそうである。だから生物学的理由は確かにありえる。
心理学的原因というのは、たとえばトラウマである。子供の頃に虐待されてトラウマになるとうつになりやすい、などである。
社会的原因というのは、例えば孤独である。最近では、何でも話せる親友を一人も持っていないということが多い。このような人間関係が希薄になると、うつになることが多いという。
とまあ、そう聞いても、そんなの当たり前では?、と皆さん思いませんでしたか? わしはそう思った。
わしは医者に行くほど深刻なうつになったことがないのでよく知らないが、たぶん、日本の医者だと、患者がどういった環境で生活しているのか(家族とか仕事とかの情報)をいちおう確認するんじゃないだろうか。ひとりついてどのくらいの時間をかけるかは知らないけど、聞くことも仕事の中の大きな役割になっているのでは。最終的に抗うつ剤を出して終わらせるとしてもだ。話を聞いてあげるだけで良くなるという話はよく聞く。
ところが欧米の医者はそうではなさそうなのである。
患者の生活状況に全く関係なく、症状だけを見て処方するのだそうだ。話を聞くのはカウンセラーの仕事で、医者は関係ないということなのかもしれない。これでは真の原因を解決していることにならないのは当然である。
この辺は、西洋社会のもつ物質主義的な発想が顕著だ。違和感を感じるところである。
他にも違和感があったのは、たとえばこんな話のくだりだ。
職場で重責を担っている上司と、上司の言われたままに働いている何も考えなくていい部下のどちらがうつになりやすいかという話が出てくる。わしは即座に部下の方だと思った。言われたままに仕事をしているようでは精神的にいいはずがない。
ところが、ハリはこんなふうに話を進めるのだ。
皆さんは重責を担っている上司の方がストレスからうつになりやすいと思ったでしょう、でも実は部下の方なんです、自由裁量がないとうつになりやすいのです、云々。
なんといいましょうか、わしとこの著者ハリの間には、世の中に対する認識の出発点のずれがあまりに大きい。これはアジアとヨーロッパの違いなんだろうか。
ハリもその辺を認識しているようだ。ハリはアジアにも取材に行っていて、アジアとの感覚の違いを述べている。つまり西洋では全ては自分から始まり、まず自分を語ってから次に周りの社会を語る。しかし、アジアではまず集団を語り、次にそこにいる自分を語る。順番が逆だと。
このように、最初の認識については違うのですが、最終的に社会との絆を取り戻さなければいけないというのは、まあ、その通りだと思うのです。日本でも孤独が大きな問題になっているように。
社会との絆がうつに有効だという話の例として、たとえば、ある貧困地域の人たちが自分たちを追い出そうとする投資家に抗議をして、運動を起こした話が語られる。そのとき、ばらばらだった住民がはじめて団結したのだが、このときうつを抱えていた人たちの症状は改善したのだという。
あるいは、未来は何とかなるという希望が持てると、うつは改善する。たとえば、カナダで行われたベーシックインカムの実験では、ベーシックインカムによって得られた余裕で、人々の精神状態が改善した。
だから、わしは繰り返し申していますが、食料と住居と教育の無料化を進めることです。生きていく上で個人に過度の責任を押し付けているというのは、精神を病んでもしかたがない状況でしょう。
ひとが冒険を行うには、しっかりとしたベース(基地)が必要なのです。経済的にも精神的にも。
そもそも、うつとは何でしょうか。ハリの理解では、それは何かが間違っているという警報なんだそうです。生物として理にかなった「反応」であり、メッセージなんだそうです。うつが蔓延するというのは、社会が間違っている証拠なのです。
****メモ****
絆の再建方法(長い取材のはてにたどり着いたのがこの程度というのが、ちょっとびっくりだけど、一応載せておく)
(1)人と再び繋がる:落ち込んだときに、自分のために何かをするのではなく、他人のために何かする。
(2)社会的処方箋:人と何かを一緒にやるたくさんの種類のプログラムに参加する。
(3)意味ある仕事に再び繋がる:言われたままの仕事ではなく、従業員が自分の裁量を持つ、共同体のような仕事をする、またはそのような起業をする。
(4)意味ある価値観に再び繋がる:買い物をすれば幸せというような、物質的でジャンクな価値観から離れ、自分の心から湧き上がる内発的な価値観に耳を傾ける。
(5)”喜”、自己への依存症を乗り越える:他人の幸福に嫉妬するのではなく、他人の幸福を自分の幸福のように考える(たとえその人が嫌いな人であっても)。瞑想をして、自分中心ではなく(宇宙)全体とのつながりを回復する。(なお、サイケデリクス(幻覚剤)も専門家の補助があれば有用)。
(6)子供時代のトラウマを認め、乗り越える。
(7)未来を修復する:未来を思い描く力を取り戻す。(カナダでのベーシックインカムの実験の話)
★★★★☆