ウリケ・シェーデ 訳・渡部典子 日経BP、日経新聞社 2024.3.8
読書日:2024.5.13
失われた30年と言われているが、日本経済は遅くとも着実に体質転換を図っており、悲観することはないと主張する本。
わしは日本経済について悲観したことはないのではあるが、こういう本が出るともちろん喜んで読む方である。
この本ではまず経済複雑性ランキングについて説明している。これはどれだけニッチな市場を押さえているかという指標なのだが、日本はこの指標で30年以上も1位を確保している国なのだ。これは市場規模は小さくても、世界で日本の企業しか持っていない技術がいかに多いかを示している。
この指標に関しては、わしも2年前に取り上げたことがある。(下記リンク参照。久々に読み返したけど、なかなかいいこと言っているなあ、と我ながら思った(笑))。
というわけで、日本はかつてのように世界を席巻するような大きな産業は起こせないかもしれないが、日本の技術力を悲観する必要はないとウリケ・シェーデは言うのである。
この辺はわしと同じであるが、シェーデはほかにも重要なことを言っている。日本は歩みはゆっくりかもしれないが、着実に前進しているのだということだ。
この辺について、タイトな文化とルーズな文化という文化の違いなのだと説明している。タイトな文化とは、規則が多くてなにか新しいことをするのが難しい社会で変化がゆっくりしか進まない。ルーズな文化は新しいことに対する許容度が高い文化のことで、新しいことにはすぐに大きな資金が集まり素早く進むが、失敗する確率も高い文化のことだ。
文化のタイトさのランキングというのもあって、日本はタイトな国に含まれ、ルーズな国の代表はアメリカで、ドイツは中間ぐらいになる。
このように文化が大きく違うので、日本はアメリカと比較しても仕方ないのだという。日本は日本独自の変革の仕方を模索しなくてはいけない。そしてその方法はかなりうまくいっているのだという。日本には3つの行動の規範が備わっており(礼儀正しい、適切な行動、他人に迷惑をかけない)、その3つのうちいちどに全部を変えるのではなく、そのうちの2つのみを変えるという変革の仕方を採用すればよいのだという。(これは両利きの経営のフォーマットであり、ガラス会社のAGCの変革の仕方を例にあげている)。
この辺の文化的な説明の仕方は、日本的というような抽象的な表現ではなく、具体的にうまくまとまっていて、なかなかよろしいように思った。変化はゆっくりでもいいと断言してくれたことは非常に良い影響を与えてくれるだろう。
しかしこれだけ変化がゆっくりだと、やっぱりひと世代かかってしまい、単なる世代交代との区別はつきにくいんだけどね。
★★★★☆