ヘタレ投資家ヘタレイヤンの読書録

個人投資家目線の読書録

プロトコル・オブ・ヒューマニティ

長谷敏司 早川書房 2022.10.25
読書日:2024.4.25

(ネタバレあり。注意)

バイク事故で右足を失ったコンテンポラリー・ダンサーの後藤恒明は、AI搭載の義足で再起を決意するが、義足はダンサーの思うように動いてくれない。はたして、AIは非言語的なダンスの良し悪しを判断できるようになるのだろうか。

これは面白かった。万人向きとは思わないけど。

いちおう2050年代の近未来の設定なのでSFなのであるが、現代と言われても気が付かないかもしれない。なにしろ、義足がAI付きで、自動運転の車が実用化されているというところ以外は、現代とほとんど変わらないのである。

現代と同じように、芸術家は貧乏であり、恒明もアルバイトで生活しているし、人は歳を取ると痴呆に陥る。恒明には、生活費、ダンスの練習、痴呆に陥った父親、非協力的な兄、恋人との関係、AIとの新しいダンスの創作、という様々な現実が押し寄せてきて、恒明を苦しめる。

ちなみに恒明のアルバイトは居酒屋の店員で、未来の居酒屋も店員のアルバイトが必要なようだ(笑)。

この時代、ロボット技術の進歩は素晴らしく、ロボットはどんな超絶的なダンスだって踊ることは可能だ。しかし、ロボットのダンスはまったく人間に感銘を与えることができない。人間のダンサーは立っているだけで、その存在感を観客に与えることができるのに、である。

AIに何かを創造させることは可能だ。ダンスについてもいろいろなダンスを100万通りでも簡単に生み出すことができる。しかし、AIはそのうちのどれが人間の心を動かすのか、その良し悪しが判断できないのである。

人間同士には、ダンスを通してやり取りするなにかプロトコル(手続き)のようなものがあるのだが、AIにもエンジニアにも、それがなにか分からない状態なのだ。

義足の右足も、恒明の安全を守るような動きは完璧だが、ダンスをするための動きをしてくれない。義足には、恒明の動き、そして恒明のダンスをしている相手、さらには観客の反応までも意識して、恒明の動きを予測して、適切な動きをすることが求められているのである。

AIのプログラミングをするのは谷口という、ダンスに興味のあるエンジニアなのだが、このSFではAIに意識が生まれたなどという安易な解決策は取らない。あくまでも、プログラミングの問題として、問題を解決しようとする。(どうやら2050年代になっても、シンギュラリティには達していないようだ)。

というわけで、著者、長谷敏司の考えた解決策は以下のようである。

(1)ダンスの内的衝動を作り出す「内部動機ネットワーク」を構成する。その衝動のキーワードは「速度」と「距離」である。そして人間の脳は動きを予測するが、ダンスとはその予測との誤差と考える。「機体の限界」「人間が作らないもの」「鑑賞者の脳への刺激」を数値化して振り付けをする。

限界いっぱいの予想外の動きが、見る人に意味を考えさせるというところだろうか。

しかしこれだけでは、ダンスは作りだせるが、ダンサーのダンスの衝動と外にあらわれる表現が結びつかない、という。そこで次のようにする。

(2)ダンスっぽい動きかどうかを判定する「監視ネットワーク」を構築する。この監視ネットワークの教育には、人間の評価を使う。結局、人間以外には、評価者はいないということである。

そして(1)と(2)のシステムを敵対的に対決させ、(1)は(2)を出し抜くように振り付けをおこなう。ちょうどチェスや将棋のゲームのAI教育のように。

最後の味付けは次のようだ。

恒明の義足は長時間の訓練の結果、恒明のダンスの動きを予測するように進化している。そこでこの義足の予測を(1)の内的衝動のシステムと結びつける。こうすることで、恒明のステージに合うように調整する。

非常に現実的な解決策で、本当にやろうとしたらできるんじゃないか、というくらいである。これならダンスのような身体性の芸術も現在のAIの延長でなんとかできるという気がする。

わしはAIが人間の知能を超えるシンギュラリティは起きると思っているが、でもやっぱりAIは人間に仕える立場なんじゃないかと思うなあ。意識も誕生するかもしれないけど、すごく地味で、誰も気が付かないくらいなんじゃないかという気がする。この物語のように。

物語としては後半の父親の痴呆の話がちょっと過剰すぎる気がするけど、実際に著者が介護に追われたかららしい。

ところで、著者はずいぶんダンスについて語っているけど、本人もダンスをするのかしら?

★★★★☆

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