高野秀行 集英社インターナショナル 2022.9.10
読書日:2023.6.7
辺境冒険家の高野秀行が、これまで巡ってきた語学遍歴(25ヶ国語以上とか)を披露して、人間の言語はどれも同じだと達観するに至った経緯を書いた本。
この本は図書館に驚くほどたくさんの予約が入っていた。高野秀行の本でこんなに予約が入っているのを初めて見た気がする。日本人の語学に対するコンプレックスがいかに強いかがわかる気がする。
高野さんによれば、日本語は日本語族といって、世界からまったく孤立した言語なんだそうだ。そうだっけ? わしが学校で習ったのは、日本語はアルタイ語族に属していると思ったが。調べてみると、日本語がアルタイ語族というのはまだ仮説なんだそうだ。文法の構造はよく似ているのだが、基本的な単語に共通性がないからだそうだ。つまり日本語を入れると、インド・ヨーロッパ語族のように、もともとのオリジナルの共通言語を復元できなくなるということだ。
ふーん、そうなら本当に日本人が外国語にこれだけ苦手意識をもつのも仕方ないのかな。(まあ、わしが英語が苦手な言い訳にはなりませんが)。
この本に書かれているのは、高野が辺境冒険家のノンフィクション作家として身を立てるまでの、本で言えば、「アヘン王国潜入記」ごろまでの話である。ここまで来ると、たぶん自分なりのやり方が身についてきて、何者かになれたということなのだろう。なにしろその前に習っていた中国語の先生が、高野の将来をしきりに心配していたくらいだから。このときすでに高野秀行は30歳である。ずっとフラフラしていて、まだ何者にもなっていなかったのだ。
高野秀行が言語をこれだけ習おうと思ったのは、言語がRPG(ローリング・プレイ・ゲーム)の魔法のようなものだからだそうだ。地元の人達だけが使う言語を話すと、たとえ片言でもぐっと近づくことができる。何も話すことがなくても、「これは何ていうの」と聞くだけでコミュニケーションが取れる。冒険家でも自分よりも優秀な人はたくさんいたので、高野は言語を魔法の武器にしようと思ったわけだ。そしてなにより、言語を勉強しているときだけは何かをやっているような気になったのだそうだ。それはつまり言語に逃げていたのだけなんだけど。
でも、実際には高野は言語自体にはまったく興味がなく、単にRPGの魔法のツールとしてだけに必要なので、実際にどこかへ冒険に行こうと計画しないとまったく学習のモチベーションが上がらないらしい。そしてその言語で現地の人に受けることばかり考えてしまう。さらには冒険が終わると、速やかにその言語は忘れてしまうのだそうだ(笑)。
面白かったのは、あいさつの話かな。
小さな集団で暮らしている社会では、あいさつの言葉は存在しないんだそうだ。出会ったら相手の名前を言えば、それで済んでしまうから。人間は、知らない集団と出会うようになると、あいさつの言葉を考え出すらしい。そして考え出された挨拶が、学校やテレビを通して広まっていくのだという。
なるほどねえ。
もうひとつ面白かったのは、スペイン語の世界のフラットさかな。スペイン語は非常に構造が規格化されていて、例外が少ない言語なんだそうだ。英語やフランス語だと地元の言葉と混じったクレオール語が発達するんだけど、スペイン語はほとんどクレオール語ができないんだそうだ。そしてスペイン語の話者も驚くほどスペイン語に無頓着で、相手がスペイン語を話しても驚かないし、話せなくても苛つかないし、相手を見下すこともないんだそうだ。
ふーん。そういえば、高野の本は大体読んでいると思ったけど、南米関係の本は読んでいなかった。読んでみよう。
★★★★☆