(ネタバレあり注意)
凪良ゆう 東京創元社 2019.9.30
読書日:2023.3.26
男女関係ではないが、一緒にいると自由になれる二人が人生を共にするようになるまでの物語。
2020年本屋大賞受賞作で、映画化もされた作品である。帯の惹句は「愛ではない、けれどそばにいたい。」である。この言葉はとても良くできていて、実際、この言葉がそのままこの作品のテーマである。
ところで、「愛ではない、けれどそばにいたい。」というような人間関係は、考えてみればごく普通である。世の中にはすでに恋愛関係を越えてしまって、単なる同志、あるいはパパ、ママとしてだけ存在している男女はいくらでもいるのである。そういうわけで、このままでは作品にならない。
ここで作者は、小児性愛者とその被害者というタブーを持ち込むのである。しかもこの加害者、被害者の図式は世間から見たもので、当人たちにとっては違うというふうに、二重に屈折したものである。二人にとっては、世間の見方というところから離れたところで自由に暮らしたいという思いで繋がっている。
このため、主人公の更紗はもともと開放的な両親のもとで、周りの子供達とは違う感性を持っていて自由に生きているが、突然、世間体というものを気にするおばの一家に放り込まれて苦しむということになっている。普通の女の子の演技をしなくてはいけなくなる彼女の愛読書が、自由に空想を広げる少女の話である「赤毛のアン」であることが、彼女の苦しみを象徴している。
従兄弟の孝弘が彼女に性的なイタズラを毎日行っているので、更紗はおばの家には居たくない、ということになっている。このエピソードは二重の意味を持たせていて、素晴らしいと思う。なぜなら、叔母の家にいたくないという気持ちを決定的に読者に伝えるとともに、これ以降彼女は性的な関係がトラウマになってしまい、人間関係に性的な部分を持ち込むことを否定する方向になるからだ。これはもう一方の文(ふみ)との関係を、通常の男女関係ではないと読者を納得させるのに有効だ。
ふたりのうち、もう一方の文の方も、世間からみて正しいことのみを行おうという、とても窮屈な家庭に育っている、という設定だ。それで、大学に入ってから、近所の公園で自由に遊んでいる子供を見るのが好きになって、毎日通うことになっている。このへんの文の行動の説明はちょっと苦しい感じもするが、作者もそう思っているのかこの辺についてはそんなに深く語られることはない。
ちなみに、最後の方で明かされるが、文は男性ホルモンができないという異常があり、男性として肉体的に成熟できないという設定になっている。なので、文の方からも、二人の関係は肉体的、性的なものではないという説明になっているが、こちらは読者を納得させるための作者の親切で書かれているような気もする。本当は書きたくなかったんじゃないのかな。
さらに、ふたりが最初に出会ったのが更紗が小学校で9歳、文が19歳の大学生で、年齢的には10歳違いという絶妙なところに設定されている。同年代ではなく、それなりの歳の差があるので小児性愛者による少女誘拐の加害者と被害者という関係が成立し、更紗が成長したあとには恋人といっても通じ、さらには文がさほど罪にならないというなんともぎりぎりの設定である。
しかもこの誘拐事件がこのレッテル張りがデジタルタトゥーとして永久にネット上に残ってしまい、常に二人の関係に付きまとうということにしている。この辺が二人対世間という構図を決定的にしていて大変うまい。対世間で、二人は協調せざるを得ない状況だ。
おまけに、更紗の子供時代を彷彿とさせる梨花という少女がでてきたり、またかつての従兄弟のように更紗を奴隷化しようとする亮という男が出てきたり、同じテーマがリフレインするような構成もいい。好きな映画や父親の思い出のグラスの話など、いろいろなアイテムもリフレインしていて、小物の使い方もいい。
こういった設定が二重、三重にばしっとはまっており、まるでこうなる以外にないという細い道を主人公の更紗に辿らせてしまう。この辺がとてもプロフェッショナルな仕事でうまいなあ、と感心しました。まあ、文と更紗の再会は偶然なのですが、この程度の偶然は許容できる。
もちろん、主人公、更紗の内面はたっぷり書かれていて、申し分ない。
というわけで、非常に微妙なぎりぎりなところを狙って外さない、そのちょっと剛腕とも言える構成力になんとも感心しました。
(あらすじ)
開放的な両親のもとで自由に暮らしていた更紗の生活は父親が病死したことで暗転してしまう。母親は新しい恋人を作り更紗を捨ててしまい、更紗はおばの家に行く。そこではおとなしい普通の女の子を演じなければならないうえに、従兄弟の孝弘が性的イタズラを毎晩のようにするのだった。おばの家に帰りたくない更紗は、小雨の中、公園で本を読みふける。そんなとき、女の子の間でロリコンと評判の男、文に「一緒に来る」と言われると、おばの家を捨てて付いていくことを、即座に決断する。更紗は文の部屋で自由を満喫し、きちんと生活するようにしつけられていた文も、更紗の影響を受けるようになる。
当然ながら、行方不明になった更紗の捜索願いが出て、文はわいせつ目的の少女誘拐の罪に問われるが、更紗の文をかばう必死の説明は、犯人に感情移入するストックホルム症候群として無視される。おばの家に戻った更紗を再び孝弘がイタズラをしようとするが、酒瓶で孝弘の頭を割り、更紗はおばの家を出て施設に行くことになる。
施設で、さらに普通の子を演じることを身につけた更紗は、高校を卒業すると、ひとりで生活することも厳しく、話しかけてきた亮と一緒に暮らすようになる。愛していないが、亮の身体の求めには応じている状態だ。更紗は文と暮らしてきた自由な生活が忘れられず、文のことをネットで調べようとするが見つからない。が、パートの職場の飲み会で寄ったカフェで文を発見する。
文は更紗を無視するが、更紗が文のところへ行っていることを知った亮は、更紗に暴力を振るう。亮はもともとDV傾向のある男で、女性を奴隷状態に置きたがる性格だった。暴力で傷ついた更紗を無視できずに、文は更紗と再び付き合いを始める。更紗は亮のもとを離れ、文の隣の部屋に引っ越す。
週刊誌やネットに、過去の誘拐犯と被害者の関係が載り、更紗は正社員になるチャンスを逃し、文のカフェも休業状態となる。どこまでも過去が付きまとい、一緒にいるときだけ自由になれる二人は、どこまでも世間から逃げ続けて一緒に暮らす覚悟を決める。
★★★★☆