エルヴィエ・ル・テリエ 訳・加藤かおり 早川書房 2022.2.15
読書日:2023.1.31
(ネタバレあり。注意)
ニューヨークに向かうエールフランス機が危険な積乱雲に入り無事に脱出したが、三ヶ月後にまったく同じ旅客機が同じ乗客を乗せて出現し、大混乱になる様子を描いた、フランスのゴングール賞受賞作。
まあ、いちおう本書が出版されたときにチェックはしていましたが、そもそもフィクションはほとんど読まないので、読んでいませんでした。ところが、昨年末のいろんな読書関係の記事で、今年の読書の成果として本書をあげる方が多かったので、読んでみようかと思った次第。
3月の嵐の中、旅客機がまったく同じ2つに分離して、1つはそのまま3月に着陸し、もうひとつは3ヶ月後の6月に出現するという異常な現象を扱っているので、SF的ですが、内容はやっぱり文学です。というのも、その異常現象自体がテーマでなくて、まったく同じ人間がもうひとり現れたらどうなるのか、という人間の2重化(ダブル)が作者の興味の対象だからです。旅客機を使ったのもたぶん、いろんな立場のたくさんの人間をいちどに扱えるから。
いちおう、この世界は何者かが行っているシミュレーションだったのだ、などというシミュレーション仮説なども大々的に取り上げられるのですが、そっち方面の展開はほとんどがありません。なので、こんな現象が起きた理由は謎のまま、ということになります。
というわけで、作者は人間の方に関心があるので、旅客機に乗り合わせた人たちのことが非常に詳しく語られます。まあ、雑多な人たちが乗っていて、中には偽名で乗っている人もいるわけですが、その雑多な人たちをものすごい力量で書き分けているところがすごいので、本国フランスでも、日本でも評価が高いのではないかという気がします。
いちおう登場人物を思いつくままにあげていくと、副業で犯罪を犯している人(ブレイク)、翻訳家として成功しているが本当は作家を目指している人(ミゼル)、高齢の建築家と若い映像編集者のカップル(アンドレとリュシー)、アフリカの有名な歌手(スリムボーイ)、女優(アドリアナ)などでしょうか。この異常事態に対応する側もしっかり書かれています。現実の政治家もどんどん出てきます。
法的にも科学的にも哲学的にも宗教的にも問題はいろいろ起こりますから、そのへんのこともよく書けていて感心します。
しかし正直に言って、同じ人間が現れたからどうだというのでしょうか。もちろん、財産をどう分けるのかとか、どっちが家族や恋人と暮らすのかとか現実的ないろんな問題が発生するのは分かりますが、そんな状況にもじきに馴染んでしまうでしょうし、それぞれのキャラに合わせて収まるところに収まるであろうことは明らかです。たとえ同じ人物としても、時間が経つと、すぐに別の人物に分離していくでしょうし。まあ、わしなら、なんとかならー、とあまり深く考えずに対応するでしょうね。
そういうわけで、わし的には、だからどうした、という感じが拭えず、これがゴングール賞を取ったのはまだしも、日本人の読者の人の心を打ったというのがどうにもよく理解できないままに終わってしまったのでした。
終わりの落ちは、まあまあよくできています。なんと同じ飛行機の3機目が現れ、うんざりしたフランスのマクロン大統領が撃墜を命じるところで終わるのです。3つ目のコピーということになると、人間の命の価値も相当目減りするようですね(笑)。
なお、「異常」というのは劇中の作家ミゼル(一人目、ミゼル・マーチ(3月))が書いた本の題名にもなっています。ミゼル・マーチはその原稿を出版社に送ったあとすぐに自殺してしまいました。そのおかげもあって、話題となりベストセラーになっていました。その印税と名声を享受したのは二人目のミゼル(ミゼル・ジューン(6月))の方です。もっとも二人目のミゼルはその本の着想すらもまったく知らなかったのですが。でも、きっと二人目のミゼル・ジューンも次の作品のネタには困らないでしょう。ミゼル・ジューンは、作家の直感か、異常な現象が起きてからのことを手帳に詳細に残しているからです。ベストセラー作家による迫真のノンフィクションができることは間違いないでしょうね。
★★★★☆