ヘタレ投資家ヘタレイヤンの読書録

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歩きながら考える

ヤマザキマリ 中央新書ラクレ 2022.9.10
読書日:2023.1.22

コロナ禍で日本に留まっていた漫画家のヤマザキマリが、ようやくコロナが落ち着きかけた2022年に書いた、自らの死生観や日本社会などに関する考え方をまとめたエッセイ。

この作品の前に、「立ち止まって考える」というエッセイがあって、そのときにはコロナでまったく自宅に留まらざるを得なくなった状況を書いていたが、今回はその続編。前作は、わしは読んでいなかったが、わしの息子は読んだそうだ。なにー。なんで、そのときわしに回してくれなかったのだ。ぷんぷん。

まあ、この本ではようやく動くことができるようになって、イタリアに戻ったり、日本国内を旅行したりした内容も含まれている。

ヤマザキマリは一ヶ所に落ち着きていられないらしく、あちこちを移動しないと新しい発想が浮かばないという感じがしていたのだが、今回のコロナで、動かないでおいても意外に新しい発想にたどり着けるということに気がついたのだという。一ヶ所にいると、特にこれまでやろうと思ってできなかったこともやれたのだそうだ。

例えば、古い日本映画をたくさん見たのだという。昔の映画スターの色っぽさを再確認したり、小津安二郎の映画をほとんど見て、小津安二郎の映画を見ているだけで、日本の家族の移り変わりを実感できたそうだ。やっぱり「東京物語」は傑作で、彼女の息子のデルスさんも、これはすごいと言っていたそうだ。

また、移動し続ける人だから映画「ノマドランド」に共感したりしている。ノマドランドで良かったのは、映画の中で落ち着いた生活をするチャンスが2回もあったのに、放浪する自由を選んだところだそうだ。なるほどね。

コロナではカブトムシを飼うこともしていて、それが雄と雌がいたものだから卵を生んでどんどん増えていったんだそうだ。そのうち逃げ出したものもいて、そのカブトムシは等々力渓谷にまっすぐ飛んでいったのだという。

子供の頃から虫を観察する子供だったそうで、母親は不在のことが多かったそうだから、北海道の田舎で、虫を観察し放題だったそう。で、虫は決してわかり合えないが、そこがいいという。という人なので、ペットは猫派のようだ。

虫を観察していて思うのは、虫はシンプルに生きて死んでいくところだそうで、人間のように生きていくことに意味を見つけようとはしない所が良いという。人間は、人生をいろいろなものでデコってしまうが、そんなものは必要ないそうだ。金魚も飼っていて、金魚は全身全霊でいまを生きているだけで、死ぬまで生きるというシンプルさがあるという。

実をいうと、ヤマザキマリの言っていることは、わしの考えていることとほぼ同じで、まったく違和感がない。わしも若いときに会社の女の子が「人生には意味があると思うの」という言葉に、「いや、人生には意味はない、わしらはただ生きているだけだ」といって、引かれたこともある(笑)。(その辺については、ここ)。

そんなわけだから、どうも考え方が似ていて、読んでいて違和感がない分、新しい発見が少なくて、困ってしまいました。

少しだけ違うのは、日本社会に関する考え方で、同調圧力の部分をヤマザキマリは少々悲観的に見ているようですが、わしは日本人はまれに見る享楽的な民族と思っていて、日本社会にこの享楽的な部分が隠れているところに気がついていないのは、ちょっと残念でした。なので、ぜんぜん否定的に考えることはないと思うのですがね。(日本人の享楽的な部分については、ここ)。

わしはどうもヤマザキマリのように世界中を飛び回りたいという感覚はなくて、なるべく生活はシンプルにしたいと考えるたちだ。しかし、家の中にずっといるのは苦手で、すぐにカフェに行ってしまう。わしは歩いて10分のいくつかのカフェに行ければ、それで十分満足だ。もっとも、毎日スタバやタリーズとかに行ってると、家族からカフェに毎月1、2万円も使うのはお金の無駄遣いと言われてしまう。いいじゃん、カフェに行って本を読むくらいしか楽しみがないんだから。

★★★★☆

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