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教養としてのラテン語の授業 古代ローマに学ぶリベラルアーツの源流

ハン・ドンイル 監訳・本村凌二 訳・岡村暢子 ダイヤモンド社 2022.9.27
読書日:2023.1.10

東アジア人で初めてバチカン裁判所の弁護士になったハン・ドンイルが、韓国の西江(ソガン)大学でラテン語の講義で、ラテン語に絡めてローマ人の考え方などを語った内容をまとめた本。

韓国の国力が向上した結果、韓国でベストセラーになった教養書の多くが日本でも翻訳、出版されるようになった。韓国人は日本人があまりいかないような分野で世界で活躍することも多いから(例えばイタリアのオペラとか)、この著者のように、異なる視点で色々語ってくれるのはよい。とくに本書のようにバチカンに深く入り込んだような人の語るローマの話なら、読む価値がある。

しかしまあ、教養の話以前に、ラテン語についてまったく知らなかったので、それ自体が興味深かった。

なんと、ラテン語はあらゆる単語に、名詞、動詞、形容詞、副詞のそれぞれに、活用があるのである。この結果、日本語と同じように、主語がなくても動詞だけで誰が語っているかが分かるので、特に一人称と二人称は省くのである。なるほど、だからラテン語の慣用句はあんなに短いのか。明言されていないようだが、こうなると語順は関係ないんだろうな。きっとむちゃくちゃでも内容は通じるんだろう。

西洋のほとんどの言語は語順が重要になるが、もともとの源流のラテン語が語順や主語のあるなしに縛られない言語だったというのは、大変興味深いと思った。

そのかわり活用を覚えるのが大変で(たぶんそれなりに規則があるんだろうけど)、西洋人の多くが学習に挫折してしまうというのも理解できる。そして、あまりに面倒くさいので、言語的に衰退していったのも理解できる。でも、こんなへんな言語が、ローマ人に千年以上も話されていたというのが不思議。そしてもう話されないそのラテン語が未だに学習されていて、いまでもある意味生きているというのがもっと不思議。

どうも著者は頭のいい人だったらしく、たいていの科目は一夜漬けでもなんとかなったが、ラテン語だけはそれでは間に合わず、それでまじめに勉強するようになったらしい。得てして人は、得意で楽にできることよりも、挑戦しがいのあることに向かっていくものなのかもしれない。

というわけで、いろいろためになることが書いてあるのだが、印象に残ったエピソードは、やっぱり2002年の日韓ワールドカップの話かな。あの韓国がイタリアを破ったゲームの日、著者はイタリアの大学にいて、むちゃくちゃ身の危険を感じたそうだ。なにしろ大学にいる韓国人は彼だけで、いままでイタリアの学生は誰も自分に関心を持たなかったのに、いまや大学中に韓国人がいることが知れ渡ってしまい、有名人になったそうだ。しかもラテン語の試験を受けようとしたら、あのゲームに頭にきた教授に、帰れ、と言われて、必死の抗議でやっと受けることができたのだという。うーん、ご愁傷様です。

で、ラテン語を忘れてもいいけれどこの言葉だけは覚えておきなさい、というのが、「Do ut des(ド・ウト・デス)」だそうだ。これはギブ・アンド・テイクのことで、これをビジネスのときになにかの折に付け加えると、相手に衝撃を与えることができるのだそうだ。へー。

この本で一番印象に残ったのは、著者の謙虚さですね。そしてラテン語も、著者に似て、謙虚で丁寧な言語なんだそうです。だからローマはどんどん仲間を得て帝国になれたというのですが、それはちょっと買いかぶりな気もする。

日本に関するネガティブなお言葉も若干あるので、こういう人にもこんなこと言われるのかと言う気も多少した。その部分を読んで、NHKスペシャルの「混迷の時代」でジャック・アタリが言っていた、日本はアジアの国々と真の意味で和解しなければいけない、という言葉がリフレインしたな。もっとも他の国々はともかく、韓国とはどんなふうに折り合えるのか、わしにはさっぱりイメージが浮かばないんですけどね。(苦笑)

★★★☆☆

 

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