井上章一 朝日新聞出版 2022.5.30
読書日:2022.9.10
明治になって洋装が普及したものの下着はふんどしのままであり、戦後も1960年ぐらいまではふんどしが残っており、ふんどしはどうしてこんなに長く残ったのかを考察する本。
女性の下着のズロースが普及した経緯についてはたくさんの記録があるが、男性のふんどしに関しては文章の記録が少ないそうだ。それで井上は、雑誌などの写真やイラストを大量に集めて分析している。
面白いのは、ふんどし姿が正装であったということだ。江戸時代から、下働きの男はふんどしだけで尻を丸出しにしているのが正装だった。だから幕府がヨーロッパの視察に送り出したときも、主人は着物をもちろん着ていたが、下男はふんどし姿で尻丸出しで付き従っていたという。誰もそれを別に恥ずかしいとは思っていなかった。ヨーロッパ人はもちろん面白がってイラストが残っている。
明治以降も近所を出歩くのにふんどし姿で行き来しているのは普通だった。オリンピックの水泳では、競技では指定された水着を着用しなくてはいけなかったが、練習などは日本人はふんどしで行っているし、それどころか国旗の旗手もふんどし姿であったから、完全に正装として国際的に認知されていたらしい。
日本人はなにか仕事をしようとするときすぐに裸になる、とイザベラ・バードも伝えているくらいだから、ふんどしが正式な仕事着だったことは間違いないだろう。
日本の軍隊は兵隊に軍服を着せて日本に洋装を普及させた功労者であるが、下着はふんどしを正式な服装にしていたらしい。戦争中の写真はほぼ全てふんどしである。それどころか、暑い南方ではふんどし姿で戦っていたらしい。
現代ではふんどしは消えたが、それでも神事にまつわる時にふんどし姿にあえてなることがある。ふんどしは正式な、神聖な、日本の精神性に関わる服装ということになるらしい。
というわけで、ふんどしはいわゆる下着という概念には当てはまらない服装のようだ。
国際的には、ふんどしの風習は中国、朝鮮系の大陸系の文化ではなく、ポリネシア系の海洋系文化の風俗のようだ。
面白いのは、男性はすぐに洋装が普及したのに中身のふんどしは捨てなかったが、逆に女性はなかなか着物を洋装に切り替えることができなかった。洋装は軽薄な女と見られる可能性があった。ところがズロースなどの下着は男性よりも早く普及し、水着はさらに早く普及したので、男性と女性では上着と下着の普及する順番が逆だったんだそうだ。
さて、この本を読んで、わしもふんどしをしてみようかと一瞬思ったが、六尺ふんどしということになるととても長いのである。なにしろ六尺だから180センチぐらいあるのだから。これをぴしっと身につけたら、そりゃイナセなのかもしれないが、しかしねえ、こんな長い布は洗濯するにもかさばるし、干すときも大変だなあ、と思ってすぐに断念したのでした(笑)。でも、巻きつけるだけで簡単にはほどけないふんどしってなかなかすごいね。
★★★☆☆