村中直人 紀伊國屋書店 2022.2.17
読書日:2022.9.9
叱らずにはいられないというのは依存症の一種で、病気であるから、<叱る>を手放さなければいけないと主張する本。
わしは人を叱るということが理解できない。めったに叱ることはないし、そもそも叱って何かが解決するという発想が理解できない。最近入社してきた新人と話していると、驚くほど成熟していて、この人達を自分が叱ることができるだろうかという気すらしてくる。そういうわけで、年齢が上とか、経験をたくさんしているということが偉いとはとても思えない。
依存症という限りは脳の報酬系と関係があるはずだ。著者の村中さんによれば、叱ると気持ちよくなってしまうのだそうだ。叱ると、叱られた相手はとりあえずは神妙な態度を取る。すみませんと謝ったり、これからは気をつけます、とか答える。そうすると、自分の力を感じるという自己効力感という報酬が得られるのだという。そして、間違いを犯したものに罰を与えるという処罰感情の充足という報酬も得られるという。
しかしながら、叱るということは実は効果が驚くほど少ないのだそうだ。(そうでしょうねえ)。間違いを犯した者が自分から考えて、心から納得しない限りは改善はしないからだ。叱られると、とりあえずはこの状況から逃れようと相手に合わせているだけのことが多い。そういうわけなので、また間違いを犯す。
そうすると、一度注意をしたのにまた同じことをしている、ということで、叱る正当な理由ができてしまい、叱るというループに入ってしまう。こうして、叱るということに快感を覚えてやめられなくなるのだという。こうして、叱ること自体が目的化する依存症ができてしまう。
なるほど。
わしはそもそも叱ることが理解できない人間なのであるが、叱りだすと止まらない人というのは身近にいるので理解できる。実は、わしの妻がそうである。妻は息子を叱りだすと止まらないのである。
彼女の心配はただ一つで、それは勉強に関することである。予習しない、復習しない、宿題をしない、ノートのとり方が悪い、勉強道具をきちんと片付けない、試験の結果が悪い、と怒り出すと止めどがなくなるのである。彼女の最大の心配はこのままでは大学に行けないというもので、赤ちゃんの頃から言ってる。大学に行けなければ人生の落伍者になってしまうと本気で心配している。もちろん、2流の大学ではだめで、1流でなければいかないらしい。どうやら生まれたときにもう勝負は始まっているらしい。
そして、息子が何もできないから発達障害に違いない、と言って泣き出すのだが、わしはそういうのを聞くたびにバカバカしくなった。わしの目から見て、息子はきわめて普通なのだが、もちろん彼女の期待する水準には到底達していないので、発達障害ということらしい。彼女の期待する基準が高すぎるのである(学年で10位以内とか)。
まあ、妻の例は、この本の叱ることの依存症と少し違う気もする。報酬系というよりは、いろいろ心配が覆いかぶさってきて正帰還ループを形成しているように見えた。ずーっとバカのように同じことを繰り返し言っていた。息子とは、また発振しているよ、と笑い合っていたんだが。
こういうのも報酬系なのだろうか。リスクを回避したいという報酬系なのかもしれない。
結局、妻は心療内科に通って心の不安を減らすようにして、薬も処方してもらうことになった。それいらい、叱ることは収まっているようだが、いまでも時々、「発振」しそうになることもある。
とばっちりを受けた息子の方も少しおかしくなってしまったので、こちらもカウンセリングを受けることにした。ここでやって良かったのは、ZOOMを使ったオンラインのカウンセリングである。ZOOMカウンセリングだと手軽に夜にも可能だし、先生と適度な距離も保てるので、話しやすいという利点がある。おまけに料金も割安である。
半年ほどこういう状態を続けて、いまは家庭内は穏やかである。良かった。
村中さんによれば、叱る人はすべて権力者で、自分に逆らえない人に対して叱るんだそうだ。そう言えば、わしは会社でも家庭でも権力者じゃなかった。そもそも叱る立場になかったわけだ(笑)。
★★★☆☆