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個人投資家目線の読書録

映画の正体 続編の法則

押井守 立東舎 2022.7.15
読書日:2022.8.31

押井守が続編という縛りの中で映画について話す本。

押井守は独自の映画論を持っていて、それは自分の個人的な欲望を満たしつつ監督としてサバイバルする、という視点から得られたものなので、なかなか含蓄が深い。国際的にもよく知られていて、外国にも友人がたくさんいるから、映画産業の裏事情も国際的な観点で理解している。

これだけの人であるから、持っている映画の知識をいろんな角度で何度でも語り直すことができるという稀有な才能の持ち主だ。大変失礼ながら、本人の映画よりも映画について語ってくれたほうが面白いくらいである。

しかし、続編という縛りはなかなかいい着眼点だ。続編の問題は、物語が好きな人には、本であれ映画であれTVドラマであれ、付きまとう問題だろう。わしも映画やドラマで続編を観て、感心したこともがっかりしたこともある。

押井守によれば、パート2を作るのにも、プロデューサー、監督、観客の立場でまったく違うという。パート2には7掛けの法則というのがあるんだそうで、興行収入は1作めの7割になるんだそうだ。そうすると、できるだけ安く仕上げてほしいという希望がプロデューサー側にはあるわけだ。

いっぽう監督側から見ると、事情は異なる。クリエイティブな監督には常に前作でやり残したことがあり、そのやり残したことを引きずっているので、どこかでそれを取り返そうとするんだそうだ。そうすると、たとえ続編が撮れなくても、違う作品でその思いを叶えようとする。つまり、監督側からすれば、題名も制作会社も違うんだが、自分の中では事実上のパート2として作っている作品があるのだそうだ。というわけで、監督視点では制作作品(フィルモグラフィ)を時系列に見ると、どういう作品を選んでいるかということから、監督が引きずっているものが分かるという。

この例としてあげているのが、押井守の中で欠かせない監督であるサー・リドリー・スコットだ。リドリー・スコットの「最後の決闘裁判」(2019)という作品は、デビュー作「デュエリスト/決闘者」(1977)の事実上のパート2なのだという。なんと42年もデビュー作を引きずっていたことになる。登場人物もテーマも違っているのに、それぞれ共通するアイテムや構図があるというのだ。

リドリー・スコットは近年、ブレードランナーとエイリアンの続編のうちどちらを撮るかを選択するはめになったことがある。このときにリドリー・スコットが選んだのは、エイリアンの方だった(プロメテウスとエイリアン・コヴェナント)。これはエイリアン2の監督を任されなかったので、やり残したことがあったからだという。エイリアンといえば、ギーガーのデザインだったり、シガニー・ウィーバーだったりが思い浮かぶが、リドリー・スコットにとってはそれはどうでもいいことだった。なので題名もプロメテウスと、エイリアンを連想させないような題名にすらしていた。リドリー・スコットが描きたかったのは人類に対する悪意だったというのが押井守の理解だ。異文化対立をテーマに掲げていたサーにとってはコヴェナントの結末(人造人間が人類を滅ぼすエイリアンを生み出す)は当然のものなんだそうだ。

スピルバーグのパート2に関する理解も鋭い。スピルバーグはほとんどの作品のパート2は外注するという。なぜそれができるかと言うと、スピルバーグは1作目で、あとは誰が監督をしてもいいように必要な要素を全部そろえておくからだという。 たとえそれがTVシリーズ化してもまったく問題ないような状況にしておく。

その例がレイダーズに出てきたナチスだという。レイダーズに出てきたナチスはこれまで映画で描かれてきたことのないまったく違う新しい姿なのだそうだ。全く新しい虚構のナチスを生み出したことで、誰が監督をしてもいいように仕組んだのだという。(石ノ森章太郎仮面ライダーで「ショッカー」を生み出したような功績か?)。実際にはあまりに自分に合っていたのか、レイダースは4作目まで自分で監督したが、5作目は他人に任せた。その他のジュラシック・ワールド・シリーズなんかを見れば、だれが監督をしてもいいようにしている。

結局、スピルバーグの最大の特長は、昔からある古典的なジャンルを現代的に見事に再興してみせる手腕にあるのだという。ジャンル映画だから、再興に成功できれば、あとは誰がやってもいいわけだ。

そのほか、パート2を作らない宮崎駿の話や、プロデューサーの視点を持っているジェームズ・キャメロンは自分の続編を作るのに意外に苦労するとか、クリストファー・ノーランザック・スナイダーの違いとか、興味深い話が満載。

シリーズ物にも言及していて、007シリーズのリブートの仕方についていろいろ言っている。25作目の「ノー・タイム・トゥ・ダイ」があれで完結なのか、とびっくりした話が出てくる。えっ、007シリーズって完結したのか? と知らなかったわしはあわててアマゾンの配信で観てみた。確かにボンドはミサイル攻撃の中に消えていったけど、エンド・ロールの最後に「ボンドはまた帰ってきます」と出てたよ(苦笑)。またリブートしてシリーズが戻ってくるのは明らかじゃないかしら?

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