ジョン・キャリールー 訳・関美和、櫻井祐子 集英社 2021.2.28
読書日:2022.6.16
スティーブ・ジョブズを崇めるセラノス創業者、エリザベス・ホームズが、現実歪曲フィールドに関してだけはジョブズを越えたことを報告する本。
エリザベス・ホームズとその会社セラノスに関しては現在どうなったかはよく知られている。セラノスは解散し、エリザベス・ホームズは詐欺で告発され裁判中である。そういうわけで、この本は犯人が分かっているミステリーのように、いかに詐欺が行われ、どうして長年ばれなかったのか、という点が最大の関心事なのだ。
なにしろセラノスの創業は2003年である。そしてウォール・ストリート・ジャーナルがこの本の著者であるキャリールーによる告発記事を出したのが2015年である。いくらなんでもこんなに長く嘘をつき通せられるものだろうか?
そういうわけで結末の分かっているドラマなのに、この本はすこぶる面白いのである。ここには詐欺で起きる基本的なことがすべて起こっている。
まずエリザベス・ホームズは嘘を付いていない。少なくとも彼女が目指すビジョンについてだけは。そのビジョンとは血液1滴のみの手軽な血液検査で顧客の健康を守る、というビジョンである。彼女はこのビジョンを心から信じていたし、できるとも信じていた。
一方、それを聞く方もそのビジョンは素晴らしいと直ちに納得できた。そのくらい単純明快で、理解ができるものだった。これはとても重要だ。
そして、なによりベンチャーキャピタルは、若いカリスマ性のある女性の起業家というのを待ち望んでいた。見た目も、話も、彼らが望むものをエリザベス・ホームズは提供したので、誰もがそれを信じたがったのである。
エリザベス・ホームズに足りなかったのは技術に関する情熱だけだった。彼女は19歳のときにパッチ型の血液検査装置の特許を出願したが、特許はアイディアが新規であればいいので、実現性にかんしてはある程度の可能性があれば取得は可能だ。例えば、針のついたパッチ部分が新規であればよく、検査手法に関しては既存の検査方法を使えると書いておけばそれでいい。
わしの思うに、特許が実際に取得できた時点で、それは実現可能と認められた、と彼女自身が信じ込んだのではないか。繰り返すが、特許はアイディアなので、たとえ取得できたとしても、実用化しようとしたとたん想定されなかった困難に直面して、失敗することは普通である。実現できなかった素晴らしいアイディアは世の中に履いて捨てるほどある。そこで、その困難な部分を新しい課題としてまた新しい発明がなされるのである。技術とはアイディアの集積の上に成り立っていて、みんなの知恵を集める仕組みが特許なのだ。
エリザベス・ホームズは特許が取れたことに満足して、そしてそれ以上技術に関しては関心がなくなり、他人任せで何も関与しなくなったのである。当然ながら20歳で中退した学生に血液検査の技術の細部が分かるはずがない。彼女が知っていたのはきっとインターネットで手に入るレベルの知識でしかなかっただろう。しかも医療機器には、行政の許認可が必要なのに、その辺の知識もどのくらいあったのか不明だ。結局、彼女がしたかったのはお金儲けであり、技術でもなく、さらに悪いことに顧客の安全でもなかった。
一方、スタイルに関してはスティーブ・ジョブズを真似しようとしており、黒のタートルネックのセーターを着て、製品のデザインにだけは口を出した。そして素晴らしい外装で覆ったマシンはそれらしく見えたし、中身については企業秘密ということで見せなかった。
また、たとえば取締役にシュルツやキッシンジャーなどの大物を揃えるとか、カリフォルニアで一番の弁護士を雇って内部告発しようとした社員や邪魔になった人を脅かすことは熱心だった。この点に関しても、ジョブズを越えたといえる。
こうして、なんの技術もないのにあるかのように見せかけて、しかもサービスを提供する契約をどんどん取っていたのだから、遅かれ早かれどこかの時点で詐欺がバレることは確かだったし、本人たちも分かっていたはずである。きっとそれまでになんとかなると思っていたのだろうけど。
結局、現在のお金あまりの世界で規模が派手になっただけで、詐欺の基本は何も変わっていない。とくに騙す側が信じ込んでいて、騙される側にも信じたい理由がある場合は難しい。
非常に幸いなことに、セラノスの検査で人が死んだという記述はなかった。
★★★★★