養老孟司 PHP新書 2022.3.1
読書日:2022.5.5
社会が脳化して、子どもの遊ぶ場所がなくなり、子どもの自殺が増える中、養老先生が4人の識者と子どもの未来について対談した書。
養老先生がなぜ心配しているかというと、自分の子どものときとは社会が違いすぎるからだろう。彼が子供のときには周りには自然がいっぱいで、虫取りも自由にできたし、大人は適度に放っておいてくれたのではないか。身体を使って周りの世界を探求し、自分で考えて行動しなくては誰も手伝ってくれなかったのだろう。
現代では、身体を目一杯使って遊ぶということもないし、全ては情報化されて検索すると答えが出てくるし、親は過度に干渉する。彼の子ども時代と異なるのは明らかだ。
しかし広く歴史を振り返ってみると、子どもはいろんな過酷な状況で育ってきたのだ。19世紀のイギリスで過酷な児童労働に従事した子どももいただろうし、アウシュビッツの強制収容所にも子どもはいたし、現在のウクライナの戦場にも子どもはいるし、文化大革命の中国では親を密告するように言われて育った子どももいる。
まあ、これらは確かに自分たちではどうしようもないことではあり、それに比べればいまの日本はなんとかしようと思えば、なんとかできることもあるのは確かではある。
でもわしは、自然がないコンクリートジャングルの都会だろうが、過酷な監視社会だろうが、子どもは育つと思っているし、あんまり気にしてもしょうがないと思ってる。結局適当でいいんじゃないかって思っているので、この本の話はわしにはあまり参考になりません。まあ、わしが気にしているのはしょせん自分の子供に関してだけで、この人たちのように多くの子ども全般について考察するということはほぼないのですが。
わしが子どもで心配している部分はもっと即物的なところで、お腹が空いたとかひもじいとかそういう子どもはぜひとも一人でも減らしたいですね。それだけです。わしはそういうところには毎月わずかですが寄付をしています。(あと、女子に生理用品を無料配布しすべきだと思う)。
在宅勤務していると、子供の声がよく聞こえてきます。少し離れたところに小学校があり、そこから聞こえてくるのですが、本当に子供って、遊ぶときは思いっきり遊ぶんですね。逆に斜め向かいの保育園は鉄壁の防音で何も聞こえてきません。わしは子供の声が聞こえた方がいいけど、きっと世間がうるさいんだろうね。
なお、副題の三つの力というのは、「認知機能(宮口幸治)」「共感する力(高橋孝雄)」「自分の頭で考える(高橋和也)」だそうです。
***メモ***
第一章 対談相手:宮口幸治「ケーキの切れない子どもたち」の著者。
親は子どもが挑戦するときの土台と伴走者になることが重要と主張。
第二章 対談相手:高橋孝雄「小児科医のぼくが伝えたい 最高の子育て」の著者。
大人には子どもの心を読む力があり、過度に干渉せず、放っておく勇気が必要と主張。
第三章 対談相手:小泉英明 fMRIや光トポグラフィなどで脳を観測可能にした
教育の最終目標は、共感力を育むことにより幸せになることだと主張。
第四章 対談相手:高橋和也 生徒が自治で学校を運営に参加する自由学園学園長。
自分で考える教育を行うと、良い社会を作るのに何ができるかと発想する人に育つと主張。