綿矢りさ 集英社 2021.8.30
読書日:2022.4.14
(ネタバレあり。注意)
社会性に問題があって周りと合わせることができず友達も恋人もいない海松子(みるこ)が、奇跡的になんのトラウマもなく大学生になると、独自の考えと確信を持つ彼女が少しずつ輝きを増していき、彼女の周囲がにぎやかになっていく様子を描いた小説。
綿矢りさの名前はもちろん知っていたが、小説を読んだのは初めてである。なにしろ小説はほとんど読まないし。で、わしがなぜこれを読もうと思ったのか、よくわからない。でも、これはとても面白かった。
主人公の海松子は知能は普通だが、社会性がまったくない性格で、友達もいないし恋人もいない。ただし、本人はそれを気に病んでいない。たぶん彼女は軽いアスペルガー症候群なのだろう。父親も社交性に疑問符がつくから、きっと父親からの遺伝だと思われる。
中学、高校ぐらいまでは子供たちは仲間との一体感を醸成する期間だから、このくらい周りとの関係を取り結ぶのが不得意だと、いじめの対象となりえる。もちろん彼女もいじめられていたらしいが、あとからわかるのは彼女自身がそのことに気がついていなかったことで、したがってそのことは彼女のトラウマになっていない。それどころか友達関係の出来事はないけれど、彼女なりに十分のびのびと暮らしてきたようだ。
彼女にとってはそういう友達などの人間関係よりも、いつも普通にできる呼吸などが急にできなくなったらどうしよう、などという不安の方が大きいようだ(笑)。また自分でかってに思い込んで作ったルールに固執し、それを破ると悪いことが起きると思ったりする。思い込みが激しいのだ。そして周りのクラスメイトたちはそういった不安を乗り越えているらしいことに感心したりする。
こんな社会性のない海松子だから、両親は彼女のためにそれなりに奮闘したようだ。なにしろ母親は、毎朝しっかりと髪のセットとかファッションとかに気をつけて娘を学校に送り出していたようで、少なくとも見かけは周りの女の子に違和感がないようにしていた。
しかしながら両親は、このまま実家にいると家族以外との人間関係がまったく作れないままになる、と不安を感じたらしい。そこで両親は海松子が大学に入学すると、家から通える範囲の大学だったにもかかわらず、大学近くに女性専用アパートを借りて彼女に一人暮らしを強制する。というわけで、物語は海松子が一人暮らしをスタートするところから始まる。
海松子はアスペルガーらしく変なことに興味を持って熱中したりする。たとえば、大学の学食で相手が何を食べたかを、口からの匂いや歯についた食材の痕跡から当てる技を磨いて、クラスメイトから気味悪がられたりする。(大学にもクラスがあるらしいけど、そうなの?)。
でも、知能は普通だから、海松子は自分でいろいろ考えているし、気候や自然への感覚は鋭そうだし、自分の好みも明確だし(ちょっとジジくさいのが好きみたい)、もちろん変なこだわりがあるし、なにより他人の意見に惑わされず自分が確信したことへの揺るぎなさ、みたいなものがある。
さて、大学には高校時代からの親しい友人とも言える萌音という子がいる。海松子は周りの人にあだ名をつけているのだが、萌音につけたあだ名は、まね師、というものだ。この萌音のキャラクターは海松子とちょうど裏返しになっており、この設定にはとても感心した。
萌音は誰かをターゲットにしてその外見や持ち物を完全にコピーしてしまい、ターゲットそのものになり切ってしまうことを特技にしている。普通なら有名人をコピーしそうなものだが、彼女のこだわりは自分の周囲にいる普通人をコピーするというものだ。街を歩いていてコピーしている人に間違えられたら最高、という人間なのだ。自分以外の人間になり切ることで自分を表現するという屈折した性格だ。
二人を比べると、海松子は周りの人間との関係には興味がないがその代わり自分というものがしっかりとある人間だ。一方、萌音は自分というものを出さず、周りにいる人を細部まで精密に観察し、他人の存在をキャラが乗り移るまで借り切って自分を消してしまう。そういうわけで、ちょうど裏返しのような存在になっている。
当然ながらコピーされたひとは気分が悪い。それどころか萌音はそのターゲット以上にターゲットになりきり、その人間関係すら乗っ取ってしまう。端的に言うと、ターゲットの恋人を奪ってしまうのだ。(ただし当然ながら長続きしない)。
そんな感じだから彼女は嫌われ者で、海松子と逆の意味で社会に適応していない。
萌音が高校時代に海松子に近づいたのは、海松子をコピーのターゲットにしたからで、なぜターゲットにしたかというと海松子がきれいだったからだ。どうやら母親の努力が萌音を引き寄せたらしい。
他の子がコピーされるのを嫌ったのに対して、海松子はその技術にすっかり感心してしまい、どうぞまねしてください、私は構いません、という状態なのだ。まね師というあだ名にもきっと尊敬がこもっているのだろう。
いっぽう、ターゲットのキャラまでコピーしてしまう萌音の方も、他の誰よりも海松子のことを理解している。正反対だが、お互いに社会不適応で、お互いを理解でき、尊重しあえるという点でふたりはうまくやっていけるらしい。正反対なのにうまくいくのだから、ある意味、凸凹コンビだ。どうやら萌音はチビという設定らしく、体型もふたりは凸凹らしい(笑)。なお、大学に入って一人暮らしを始めてからは、外見に関する母親の監修がなくなって、海松子の姿は落ちぶれてしまい、萌音のコピーの対象ではなくなった。
この二人の関係が面白すぎて、他に海松子のことが子供の頃から好きな幼馴染の奏樹(あだ名:七光殿)や、高校生の頃から海松子に目をつけていたという諏訪(同:サワクリ兄さん)という父親の教え子の男もいるが、その二人との関係が霞んで見えるくらいだ。
ところで、高校まではみんなと同じであることが価値を持つが、大学くらいになると自分のスタイルを持つことが必要になる。彼女はそれを十分持っているので、だんだんとその独特なスタイルを認める人が出てくるのだ。
彼女の良いところは、他人の考えや発想にまったく惑わされないところだ。自分で考えたことや観察したことに強い確信のようなものを持っている。だから人の判断には惑わされずに、萌音とも付き合える。
もうひとつ良いところは、他人への忖度がまったくないシンプルな精神構造であるから、なにか決断しなくてはいけない場面では、すべて即答だということだ。あいてが、えっ、いいの?と戸惑うくらいに即断即決である。
こうして徐々に広がっていった海松子の交友関係だが、そんな海松子の広がった人間関係を証明する場として設定されたのが、実家で開いたオーラの発表会だった。オーラの発表会とは何?っていう感じだけど、海松子が、自分は自分のオーラでパチンと電気が弾けるような心霊現象のラップ音のような音が出せると、例の思い込みにより、確信するようになったことが発端だ。萌音に、じゃあみんなの前でやって見せてよ、と言われて、これまた即答でOKしたのが、オーラの発表会なのでした。一瞬、物語はオカルトチックな方向に行くのかと思われたくらいだが、実際にはその会で海松子は実演に失敗する。
しかし、そんな超常能力みたいなことはどうでもいいことなのである。来てくれた人たちは、萌音以外は、これは単なるホームパーティだと思って来たのだから。萌音を通して海松子が招待した全員が、彼女の実家のパーティに集まったのだ。それこそが大事件なのである。実演に失敗した失意の海松子を慰める七光殿こと奏樹に、ずっと一緒にいたい、と言って(自分から)彼の手を取る、という事件も起きたが、それすらがなんかついでみたいな感じがする。(さらについでにいうと、肉体の接触が重要と彼女が気がついたのは、サワクリ兄さんにキスされて興奮したからだ(笑)。だからこの二人はお話のなかで役割を分け合っている)。
というわけで、海松子がこれから新しい人生を送ると思われるようなシーンで物語は終わる。
以上がこの小説の概要だが、わしはこんなことを思った。海松子みたいな人は、けっこう経営者や起業家に向いているんじゃないかと。なにしろ彼女のような人は、なにか使命感に取り憑かれると、真っ直ぐにそれに向かっていって大概の困難は克服してしまうんじゃないかって気がするから。
まあ、そうですねえ、環境問題のグレタ・トゥンベリさんなんかが、やっぱりアスペルガー症候群だけど、そんな感じといえばいいでしょうか。だからこの続編があるとすれば、そういう社会起業家的な展開もありかも、と思いました。まあ、彼女がどんな使命に取り憑かれるかはわかりませんが(笑)。
★★★★☆