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生涯弁護人

弘中惇一郎 講談社 2021.11.30
読書日:2022.3.14

村木厚子事件、三浦和義事件、薬害エイズ事件など、無罪引受人として有名な弘中さんが、これまで受任したうちから、記憶に残る事件を記載した本。

弘中さんが弁護士になってから50年、半世紀が過ぎたのだそうだ。そういうわけで回想録のようなものを書くことになったが、ひとつひとつの事件が非常に個性的であるから、まとめることができずに事件簿という形で主な事件ごとに書くことになったらしい。

読んで思ったのは、弁護士というのは非常に創造的な仕事ということだ。法律の条文はすべての場合を網羅しているものではないから、現実に適用すると、あいまいな部分がかならずできる。このあいまいな部分に、創造性を発揮する余地が生まれる。新しい解釈や適用があった法律は判例という形で判例集に残ることになる。

驚いたことに、弘中さんは弁護士になった新人のときの仕事でもう判例集に載るような仕事をしている。そしてその後の多くの仕事が判例集に載っている。別に判例集に載るような仕事をしたいと取り組んでいるわけではなく、愚直に弁護に取り組んだ結果なのだろうけど。

こういう創造的な仕事をしてそれが判例になると、その判例はずっと残って、日本の法曹会の財産になるのだから、非常に意義深い仕事だ。もちろん、弁護士と言ってもいろいろで、判例からはみ出さない定型的な仕事をする人がほとんどだろうけど。

一方で、検察側はどちらかというと、ある定形フォーマットを思い描いて、そのフォーマットに無理矢理でも当てはめて処理を進めようとする傾向が大きいように思えた。そのために必要な調書や証拠のセットが決まっているから、それを作って組み立てていくようなところがある。こういう定型的な発想で作るから、無理が生じ、反論の余地が生まれるのだろうという感じがした。

そういうわけで、きちんと調べれば検察のストーリーが成り立たないことが分かることが、多々あるのだ。検察は必要な材料が集まればそれ以上集めないし、きっとほとんどの弁護士もそんな地味な確認は行わないのだろう。それは例えば膨大な書類や論文をひとつひとつチェックすることだったり、関係者全員の話を聞くことだったり、遠くの現場に足を運ぶという、なんとも地道な作業の連続になるからだ。

わしは自分が弁護士に向いていると考えたことはないけれど、こういう相手の論理(しかも定型的なもの)を崩すというというのは、なんかわしに向いているような気がした。来世があったら、弁護士になるのもいいかも。まあ、どうみても日本の弁護士ではお金持ちにはなりそうもないけどね(笑)。

それにしても、こういう本を読むと、いったん逮捕されたら、被告は本当に厳しい状況に置かれることが身にしみて分かる。日本の検察、司法制度はひどいとは思ってたけど、やっぱりひどい。なんとかならんのかねえ。

***(メモ:本に載っている事件)***
事件ファイル①
第一章 国策捜査との戦い 村木厚子事件、小沢一郎事件、鈴木宗男事件
第二章 政治の季節 マクリーン事件、刑事公安事件(学生運動関連)
第三章 医療被告と向き合う 薬害事件(クロマイ薬害事件、クロロキン薬害事件) 医療過誤事件
第四章 「悪人」を弁護する 三浦和義事件

事件ファイル②
第一章 報道が作り出す犯罪 安倍英医師薬害エイズ事件
第二章 弱者とともに 下館タイ女性殺人事件 小学生交通事故死事件
第三章 名誉毀損・プライバシー侵害と報道の自由 名誉毀損・プライバシー、野村沙知代事件、中森明菜事件 プロダクションとの紛争、加勢大周事件 記号化による人権侵害、オセロ中島知子の洗脳報道事件 報道の自由噂の真相名誉毀損事件など
第四章 誰もが当事者に 警察官による暴行事件 痴漢冤罪事件(映画「それでもボクはやっていない」の元ネタ)
第五章 日本の司法の現実 カルロス・ゴーン事件

★★★★☆

 

 

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