中野善壽(よしひさ) ダイヤモンド社 2021.11.16
読書日:2022.2.8
子供の頃から孤独だったという経営者が、孤独というのは自由ということだと主張し、軽やかな経営を目指す本。
元寺田倉庫CEOの中野さんの「ぜんぶ、すてれば」が面白かったので、近刊の本書も読んでみようと思った。
著者は子供の時から両親とは離れて暮らすことになり、孤独を感じてきたという。しかも方言の強い青森で暮らすことになり、外国に放り込まれたも同然の状態だったという。言葉が必要ないスポーツ(野球)を通じて友達もたくさんできたが、馴れ合うことはなかった。
祖父の教育が「言い訳するな」というもので、経過はいろいろあっても結局それは自分が決めたことだ、という教育を受けてきた。ここに、孤独と自己責任が結びつき、自分が全責任をとって決めるのなら自由に何を決めてもいいという発想に至る。
こうしてすべての束縛を取り払って、自分を自由にするという生き方をする。物も、地位も、お金(財産)もいらない。自由になるために、いかなるこだわりも捨てる。どこに住んでどこで働くというこだわりもない。縁があったところに住み、縁があったところで働く。
社長をしても自分のビジョンにこだわりがあるわけではない。関係者全員とコミュニケーションを取るようにし、話を聞いて、その上で方向性を決め、最後には孤独に自己責任で決断する。話は聞くが、決めるのは彼個人であり、指示を出すときには責任は全て自分が取るといい、担当者が自由に動けるようにする。責任はとると明言するが、そもそも責任など取りようなどないので、安心させるためだけの言葉なのだそうだ。
なるほどと思うのは、自分に対するメンテナンスだ。夜は胃の中を空にした状態で寝たいといい、夕食は18時までに済ませる。一度軽く寝てから夜のニュースを見て、早めに寝る。朝起きると、ストレッチ、祈りの時間などゆっくりと2時間を過ごしてから仕事に取り掛かるという。少食であり、歯磨きは一本一本磨くのに時間をかける。どうもこういうことを若いときからやっているらしい。
身体に気を使うのも、自分の自由を確保するための基本だからだろう。
こうして彼は自分をなるべく自由かつ孤独な立場にしようとするのだが、この本を読んでもどうしてもわからないことがある。
彼のライフスタイルを貫くとすると、人生にまとわりつく「しがらみ」ってやつをどう処理しているのだろうか。端的に言えば、家族である。
この本では家族のことはプライベートなのだろうから述べられていないが、彼は住むところも自由に変えているようだし、食事は作ってもらう人を雇っているようだが、身の回りのことは自分でやっているようだ。いまそういう生活をしているというのは、きっとずっとそういう生活をしてきたんだろう。
そうすると、仕事を辞めるときも、外国に住まいを移すときも、彼はまったく家族に相談せずに実行している可能性が高い。よけいなお金は持たずにすべて寄付する方針らしいから、もちろん家族が生活する分は確保しているだろうが、よけいなお金は渡していないだろう。
こういうライフスタイルからすると、おそらく、彼はもともと家族と別居していた可能性が高そうだ。息子がいるということだが、どのくらい一緒に暮らしていたのだろうか。妻らしき人が最近亡くなったようなことが記載されているが、そもそも結婚していたのだろうか。
もしも結婚して妻がいるとしても、その女性には「俺はこんな人間だからこういうことしかできない」と説明して、納得してもらった上でないと無理だろう。そんなふうな関係だったとしか想像できない。
ようするに、彼のような生き方をするとしても、仕事以外のことをどうするか、それも含めてアドバイスをしてもらわないと、普通の人には実行不可能である。こんなのできんわ、ということになるのではないだろうか。
しかし、じつは仕事上のことでも、わしには疑問がある。彼はどの会社で働くかということにはこだわりがなく、その時々の縁で決めているようだ。そうすると、彼にはこれがしたいというこだわりもないのである。
だから、社会のこういう問題を解決したいとか、こういうことを実現したいとかいう自分の想いはないのである。つまり彼は起業家ではない。彼はそのときどきで自分が役に立つという場所にたどり着き、そこに一時的に根を下ろすが、役目を終えると別の場所に流れていく。
それが悪いというわけではないし、実際そういう生き方もいいなと思えるところもあるが、特定の何かを成し遂げたい人の助言にはならないだろう。そして、わしらのような凡人には、その考え方のごく一部を取り入れられるかどうかってところか。まあ、少なくとも彼自身は投資対象にはならないよね(笑)。
プロの流浪の経営者という生き方、達観しすぎていて、なかなか難しそうだ。
★★★★☆