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アルフレッド・ウォリス 海を描き続けた船乗り画家

塩田純一 みすず書房 2021.9.10
読書日:2022.2.4

船乗りや中古の船具の販売で生計を立てていたイギリスの男が、妻の死後、70歳になってから本格的に絵を描き始めたという、ウォリスの評伝。

ルフレッド・ウォリスは、1855年頃に生まれて、1942年に87歳で亡くなった。70歳になってから絵を描き始めたが、絵はそれ以前から描いていたという話もある。しかし1枚も残っていない。どうもいろんなものに絵を描いては人にあげていたらしい。それは子供が描いたように見えたため、大切にされることもなく、消えてしまった。

ウォリスの絵はテート美術館などに収集されているのだから、それなりに影響力のある画家になったわけだが、驚くのはやはり70歳から絵を描き始めたというところだ。いったいどんな状況だったのだろうか。まずはそこに至るウォリスの人生を簡単に振り返ってみよう。

ウォリスが生まれ育ったのは、イギリスの南西部突端のコンウォール地方で、一番長く暮らして最後までいたのはセント・アイヴスだった。学校には少しの間通っていたけど、ちゃんとした教育は受けていない。もちろん絵の描き方も習っていない。

21歳で倍の歳の42歳のスーザンと結婚している。スーザンは子供を4人かかえていたため、生活の安定のためにウォリスと結婚したらしい。一方、ウォリスの方は幼い頃に母親と死別しているので、母親を求めるような感情だったらしい。二人の間に2人の子供ができるが、2人とも死んでしまう。残ったのは自分と同じような歳の義理の子供たちだけだ。

結婚すると、船乗りになり、ニューファンドランド島や近海のタラ漁の漁夫になった。このころはペンザンスにいたが、30歳を過ぎてからセント・アイヴスに引っ越して船具商になる。中古のものやクズなどをなんでも買い取っては商売をしていた。それなりに成功して、お金をためて小さな家を買い、その後ずっとそこに住む。スーザン73歳、ウォリス53歳のとき。

ウォリス59歳のときに、引退。すでにセント・アイヴスは漁業が衰退しており、商売にならなかったらしい。これより2人の生活は困窮していく。1922年、スーザンは88歳で死去。

2人は40ポンドのお金を蓄えていたらしいが、スーザンの死後これがなくなってしまう。ウォリスは義理の子供たちを疑い、猜疑心の塊となって、彼らとの関係を断ってしまう。さらには意固地になってしまい、世間との繋がりもほとんどなくしてしまう。

何もすることがないまま、妄想にかられてしまうようになる。妻が寝泊まりしていた2階に何かがいると思い込み、2階にはあがらないようになる。妄想の声が聞こえるようになり、彼をあざける。ウォリスはこのことを「無線脳」と呼んだ。つまり電波である。軽い統合失調症だったのだろう。

そんな偏屈な老人を近所の子供たちがかうようなこともあったようだ。これもなにか悪魔のようなものが自分を陥れようとしているという妄想になる。挙句の果てには交通事故に会い、自分を陥れようとする悪魔の存在を確信する。

こうした中、ウォリスが正気を保つために始めたのが絵画だった。

生きるために描くのだから、材料とかはどうでも良かったらしい。近所の店でもらった厚紙に船用の限られた色のペンキを使って描く。キャンバスに立てて描くのではなく、テーブルの上に広げて描くのだが、しばしば紙をぐるぐる回して反対側を描く。すると、上下の方向も揃っていないし、もちろん、遠近法とか縮尺とかは無茶苦茶である。彼が描きたいものは大きく描かれ、そうでないものは小さく描かれる。

彼が描いた題材は、かつて自分が暮らした船や海の風景だ。すでに失われた風景なので、記憶にのみ頼って描く。船はもちろん写実的には描かれていないが、船の帆や偽装などあるべきものはすべて正確に描かれている。風景も写実的ではないが、灯台や危険な岩礁の配置などは実際にあるがままの配置だ。これら船乗りにとって重要なものは、大きく描かれている。それから海の波や表面の色の様子も本物以上に本物だ。彼の記憶の中の海がそのまま描かれる。しかもそれがペンキの限られた色の中で描かれるのだ。

このように描かれた船や風景は、奇妙な生命力を持ち、まるで生物のようだ。厚紙の地の色にあえて彩色を施さずに残すという技法も、斬新である。

絵画を始めてから3年の間、ともかくウォリスは膨大な量の作品を描き続けた。

当時、セント・アイヴスには、若手の芸術家が集まるサロンのようなものがあった。芸術家に人気の街だったのだ。そのうちの一人が偶然にウォリスの家の前を通り、絵があることに気がついて、見せてくれるように頼んだ。その絵を見た画家は衝撃を受けて、そのうちのいくつかを買い取ることを申し出た。もちろん、彼ら自身が有名になる前の貧乏な存在だったから、ほんのお小遣い程度の値段だったが、こうしてウォリスの絵画は世間に出るようになり、名前も知られていくのである。

しかしこういう若手芸術家たちとの交流やいくらかの絵が売れるようになっても、ウォリスの生活を改善するにはいたらず、第2次世界対戦が始まると、それも滞るようになり、ついにウォリスは生活が行き詰まる。ウォリスは救貧院(生活できなくなった貧困者を預かる施設)に移ることになり、そこでも周りの協力で絵を描き続けるものの、14ヶ月後に亡くなるのである。

芸術家たちの有志により、きちんとした焼き物の墓が作られて、ウォリスはそこに眠っている。

いま、ウォリスはかなり有名な芸術家として知られている。日本では2007年に展覧会が開かれている。著者はその実現に尽力した人だ。

ウォリスの話を読むと、芸術的には狂気が必要なのではないかという気になる。老後に絵を描くことが勧められることも多いけど、こういう狂気はちょっと困るなあ。でも妄想にかられたら(統合失調症になったら)、生きるためには芸術もいいかも。まあ、必要とあれば、ひとは70歳だろうがなにか新しいことを始めるってことです。

★★★★☆

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