ヘタレ投資家ヘタレイヤンの読書録

個人投資家目線の読書録

本物のエリートに会ったことがありますか? 「実力も運のうち」で思い出したこと

小ネタです。

前回の考察で、
  エリートたちに、だから? といえる社会を作ろう。
などと書いたが、自分でも違和感があった。だってエリートに会ったことないんだもの(笑)。

まあ、エリートと言っても範囲は広くて、人によっては、大学を卒業して上場企業に務めている人はみんなエリートに入ってしまうのかもしれない。わしもそういう人をエリートと呼んだことがある。その基準で言えばわしもエリートになってしまうだろう。

だけどほとんどの人は、とてもエスタブリッシュメント、とは言えないんだよね、日本の場合。やはりここでわしがいう本物のエリートという場合、自分が日本という国を背負っているぐらいの気概がほしい。そしてなによりも、自分という存在はエリートであり、一般大衆の人たちとは異なっているという強烈な自負心を持ち、こういう一般大衆を導く役割を担っている、ぐらいの意識を持っているのがいい。

こういう本物のエリート(?)というのはどこに存在しているんだろうか。もしかしたら、財務省あたりに潜んでいるのではないかという気がするが(最近文藝春秋に投稿したあの人とか)、そんなに数は多くない気がする。

わしは長い間、こういう絵に描いたようなエリートってフィクションじゃないかって思っていた。ところがある時、まさしく、自分はエリートだという意識を持った人に出会ったのである。

そのお方とは、子供が所属しているサッカーチームの親睦会で出会った。要するに親が集まる飲み会である(笑)。隣りに座ったその人は、ある大手新聞社のデスクをしているという。

話を始めてすぐにその人物が、自分が一般大衆と異なる次元の人物であり、一般大衆を導かなければならないという意識が非常に高いことに気がついた。もちろん、彼から見ると、わしも導かなければならない大衆である。もしかしたら、この飲み会への参加も、一般大衆との接点を大切にしなければならないという、彼の義務感から参加したのかもしれない。

わしはびっくりしてまじまじと彼を見つめ、これは珍しい人に出会った、ぜひともこの機会を大切にしなくてはいけない、と思った。そこで彼にいろいろ質問して、話を聞くことにしたのである。

質問に応じて、彼はいろいろ話してくれた。東日本大震災のときの新聞社内の混乱の様子とか、今の新聞のおかれている状況とか、このままではいけないと彼が上に進言している内容とか、そういう話をしてくれた。詳しい話は忘れてしまったが、たしか新聞が大衆から離れており、もっと寄り添わなくてはいけないとか、なんかそんな話だったような気がする。わしは話の内容というより、徹頭徹尾、自分はエリートだと信じ込んでいる話し方に感嘆していた。

もちろん、彼は一般大衆には優しく、丁寧で、気さくあった。だが、自分は違うというちょっとした言い方自体が周りの一般人を苛立たせることには気がついていないようだった。いつの間にか他の人達は離れていってしまい、わしら二人で話し合っていたのだ。まあ、退屈だよね、こんな話。わしは興味深く聞くことができたのだが(笑)。

飲み会が終わっても、わしはこういう人が本当にいるんだと知って、感慨深いものがあった。

わしは他にも、有名な大名の末裔の由緒正しい人とか、財閥系の家系の人とか、そういう人にも会ったことがあるけど、みんな普通である。日本では高貴な家系(?)やお金持ちのひとたちで、じぶんからわざわざ目立とうというひとは少ないのであろう。

まあ、こっちの目立たないほうが普通のエスタブリッシュメントで、自分はエリートであるという自負心を持っている方が珍しいのかもしれない。そういう意味でも、じつに得難い経験だったなあ、と思うのである。

えーと、お名前は忘れてしまいましたが(笑)。

 

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