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個人投資家目線の読書録

ほめるのをやめよう リーダーシップの誤解

岸見一郎 日経BP 2020.7.29
読書日:2021.6.23

リーダーシップというのは先頭に立って人を引っ張ることではなく、部下を教育して自立させることだと述べる本。

アドラー心理学というのは、人の感情はその人がなにか目的があって起こすものだという解釈だから、ぱっと見、どこか取り付く島がないという感じがする。怒りという感情は、たとえば上司が部下に向かって叱責する場合、自分が上に立とうとするマウンティングのために自分で起こす感情だ、と述べたりする。

著者によると、企業などの組織では、目標を設定しそれを達成することが目的だから、こういう感情のやり取りはほとんど意味がないのだそうだ。この場合、叱責だけでなく、ほめるという行為自体もそうだというのである。

ほめるというのは、部下の承認欲求を満たすために行うのだが、そうすると部下はまたほめられるための行動を起こそうと動機づけられる。ほめられることが目的になると、その人が見ている前ではほめられる行為をしようとするが、見ていないところでは意味がないのでしないようになる。こうなると、組織のためというよりは、ある人のため(というか自分のため)に行うことになり、組織にとってよろしくない。

また、ほめる上司の方もじつはそのようにして、相手をコントロールすることが目的になっていることもある。

こういう感情のやりとりは組織の目的に対して逆効果だという。組織としては、リーダーのためではなく、組織の目標のためにそれぞれが自立し、協力して目標を達成できるようになっていないといけない。リーダーの役割はほとんどそのための教育、環境整備ということになる。

そのためにリーダーに必要なのは感謝と評価なのだという。

感謝というのは、その人がいてくれるだけでありがたい、という感謝である。どんな人でもいないよりはいてくれて貢献してくれたほうがいいので、いてくれるだけで感謝なのだ。(存在承認)

そして感謝を伝える言葉は「ありがとう」である。

評価というのは、ある行動がよかったか悪かっただけを伝えるというものである。そのときにほめる必要はないのである。逆に悪くても叱責はしない。悪かった場合はどうしたらいいか相談するだけである。感情のやり取りは不要だ。

もし感情を使って組織の環境を良くしようとするのなら、リーダーが機嫌よくすることだという。リーダーが機嫌が良くて、組織に笑いが起こっているのなら、その組織は前向きになれる。もしリーダーが不機嫌なら、リーダーの機嫌を損ねないように注意が働いてしまい、組織の行動に制限をかけてしまう。

リーダーとしてはメンバーになにか言わなくてはいけない場合がある。どんな言い方をしても、あいてがそれをどう捉えてしまうかわからない。なので、必ずどう受け取ったか確認する必要がある。ほめているのでもなく叱責しているのでもないことが伝わらなくてはいけない。

そしてリーダーはすべてができなくてもいいし、完全でなくてもいい。できないことはできないし、自分ができなくてもほかにできる人がいればいいし、自分でアイディアを思いつかなくても何かもっといい考えがないか部下に聞いてみればいい。すべて相談である。

そうすると、リーダーは、尊敬されていなくてもいいし、感謝されなくてもいいし、さらにはバカにされてもいい。

究極的にはいてもいなくてもいい存在になるのが理想みたいになってしまうので、きっと一部の人には、じゃあいったいリーダーをやる意味があるんだろうか、みたいになるかもしれない。しかも責任は取らされる、というか、責任を取るのがリーダーなので、さらに割に合わないと思うかもしれない。

もちろんリーダーも幸福になれなくてはいけない。こうなると、リーダーは自分で自分を幸福にするすべを身に付けておかないといけない存在なのかもしれない。

アドラーはひとは幸福になろうとした瞬間に幸福になれると主張している。なので、ぜひみなさんもアドラー心理学を学んで、すぐに幸福になっていただければと思う。

わしはアドラー心理学はある種の真実だと思っております。

というか、そもそも自分が幸福かどうかを気にする心理自体がわしにはわからん。そんなものどうにでもなりません? ひとは不運で絶望的な状況のさなかでも幸福になれますし、羨むような幸運な状況でもいくらでも不幸になれます。これだけ幸福に幅があるとすると、そもそもそんな事考えてもしょうがないってことだと思います。

いつだって幸福になろうとした瞬間に幸福になれる。これでいい。

★★★★☆

 

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