土屋賢二 文藝春秋 2014.3.2
読書日:2021.4.7
ほとんどの哲学的問題はそもそも問題として意味がなく、哲学というのは人間の言語のあいまいさと闘うのがその出発点だ、と主張する本。
なぜ人間は八本足か、という問いは明らかに意味がなく、ナンセンスだが、じつはそれに似たような問いが多数存在するという。一見意味があるように見えるが、実はナンセンスだという。
例えば「人生は無意味だ(生きている価値がない)」という表現。
その理由として、
(1)どんなものでもいつかは消滅する。
(2)いつも同じ毎日の繰り返しでつまらない。
などが挙げられるが、(1)いつか終るということと、いまが意味がないかどうかは関係があるかどうか不明だし、逆に永遠に続くからといって意味があるとは限らない、(2)毎日同じ電車に乗って、会社へいって、帰って寝るだけの毎日を繰り返しているだけだとして、それは自分がつまらないと思っていることをあげているのだから、「つまらないからつまらない」と言っているのに等しく、説明をなしていない、という。
おなじような無意味な表現としては、
「生物は子孫を残すために生きている」
「人生はほんの一瞬」
「人間は微小(または巨大)な存在だ」
などがある。
そもそも現在でこういう、「一見哲学的だが意味がない」「問題として成り立たない」、という話をしたのは、ウィトゲンシュタインなんだそうだ。しかし、じつはアリストテレスの時代から同じ問題があったという。
ゼノンという人が、「物体は運動しない」という主張をした。その理由は「運動しているように見えても、ある瞬間をとると物体は止まっている。止まっているものをいくら集めても運動という現象は起こらない」という理屈だ。
しかし、アリストテレスは、「運動しているかどうかは時間に幅が必要。ある瞬間とある瞬間を比べて違いがあれば運動していると判断するのであって、運動しているかどうかはある瞬間だけを調べてもわからないから、この問題に意味はない」と問題として成り立たないことを説明したという。
そういうわけで、哲学的な多くの問題は、そもそも問題として成り立っていないことが多いのだそうだ。意味のない例題を多数挙げていて、ほとんどは解答のある問題というよりも、単なる意見の表明や態度の表明にすぎないという。
ウィトゲンシュタインってこういう仕事をした人だったんだ。なるほどねえ。ちょっと読んでみようかしら。でも土屋さんの入門書読んで分かったつもりになっても、こういう話はごく一部で、きっとまったく歯が立たないんだろうなあ。
これも横浜市立図書館の電子図書館から借りたもの。電子図書館、ものすごく便利。
★★★★☆