ヘタレ投資家ヘタレイヤンの読書録

個人投資家目線の読書録

凡人として生きるということ

押井守 幻冬舎 2008年7月
読書日:2008年09月23日

押井守はアニメ界でこそ有名な監督だが、説教をたれる文化人ではなかったはずだ。だが、自他共に認める「オヤジ」となったいま、その資格を得たようだ。

ここで述べられていることは、押井がこれまで一生をかけて考えた結果がまとめられているので、単なる文化人の戯言というわけには行かない。実際、薄い本なのに、読み進めるにはけっこう時間がかかった。無視していい言葉が少ないからだ。

押井は根本のところで疑問を呈する。「若さに、青春に価値があるというのは本当か」「自由が最高の価値であるというのは本当か」「友達が本当に必要か」などである。

押井の作品がこういう根本的な疑問から発想されているというのは驚きだった。たとえば最新作の「スカイクロラ」は永遠に若いままで青春を繰り返す人たちの物語なんだそうだ。若さや青春に本当に価値があるのなら、最高のユートピアになるはずだが、そうはならない。こういう発想をするひとなのだ。

自由の問題では、自由というよりも自在感がより重要だという。実際に人は自在に何かを成し遂げられるとき、自由だと感じる。そしてオヤジになるほどできることが増えて自在感が増すので楽だという。

友達も必要ではないという。とはいってもコミュニケーションをしないわけではなく、何かテーマをもってそのテーマに限定してコミュニケートする。つまりそれは仕事ということである。何かテーマを持って接すると、自分の好悪を越えた人間関係が築ける。ただしそれはテンポラリーで損得がからむ。それが彼にとっては友達であり、それ以外の友達は必要ないという。

この意味は非常によく分かるし、わしもそうだと思っていた。しかし何の損得も関係なく、一生縁が切れずに付き合っていく、そういう人間関係はかなりの確率で実際に存在する。わし自身は、こういう関係はなんだろうか、と思う。

もちろん、押井はそのような関係を否定しているわけではなく、必須ではないといってるだけなのだが、押井自身も認めるように、そういう人間関係は押井の作品には登場しない。考える基板すら持っていないからだろうが、作品の幅を狭めているような気がする。

天才ではない凡人の人生の闘い方など、興味深い言葉多数。

★★★★☆

 


凡人として生きるということ

にほんブログ村 投資ブログへ
にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ