ヘタレ投資家ヘタレイヤンの読書録

個人投資家目線の読書録

僕らはそれに抵抗できない 「依存症ビジネス」のつくられかた

アダム・オルター 訳・上原裕美子 ダイヤモンド社 2019.7.10
読書日:2020.6.28

テクノロジーが発達した結果、依存症は薬物だけでなく、行動に起因した「行動嗜壁(こうどうしへき)」による依存症が主流になった。スマホ依存症とかゲーム依存症とかのたぐいである。なぜやめたいのにやめられないのか、やめるにはどうすればいいのか、について心理学者が書いた本。

これまでも何度も言ってることだが、わしは間違いなく依存症である。株投資依存症だ。投機ではなく投資だと自分で思っているが、はたから見ていると区別がつかないだろう。

なので、この本の行動嗜癖による依存症が起こる原理を読んでいて、愕然とした。本当に書いてあるそのまんまではないか。わしは読みながら、とちゅう何度も本を閉じて、考え込んでしまった。

まず、依存症とは脳の快楽中枢が刺激されて、ドーパミンが脳内にあふれることで幸福感に包まれることから始まる。これは薬物依存でも行動嗜癖でも同じである。だが、ここで行動がどのように絡んでくるのだろうか?

薬物依存の例を見てみよう。

ヘロイン依存症になると、抜け出すことが困難である。常習者の95%は再びヘロインに手を出すという。

ベトナム戦争のとき、アメリカ兵の間でヘロイン依存症が蔓延した。10万人の常習者がいたという。ベトナム戦争後、これら常習者が大量に帰還すると、アメリカで大問題になることが誰の目にも明らかだった。そりゃそうだろう? で、どうなったか。

なんと、なにも起きなかったのである。

ヘロイン依存症に戻った比率はたったの5%。ほとんどの常習者はアメリカに帰ると、ヘロインから手を切って、真面目な人生を送ったのだ。

そこで疑問が生じる。ベトナムにいるときには手を切ることは不可能だったのに、なぜアメリカに帰ってきたら可能だったのだろうか。

それは記憶だった。ヘロインで幸福になったとき、その時の状況が一緒に記憶にインプットされたのだ。一度ヘロインを断っても、同じ状況に置かれると、その記憶がヘロインを思い出させ、猛烈にヘロインが欲しくなるのだ。ベトナムの基地内でヘロインの味を覚えた人は、ベトナムの基地内の状況、蒸し蒸しした空気や大勢の兵士に囲まれた状況に囲まれると、ヘロインが猛烈に欲しくなる。しかし、全く異なるアメリカの環境にいると、その衝動おこらず、手を切ることが可能なのだった。

通常のヘロイン常習者は、更生を終えると、元のヘロインを覚えた町に帰される。すると、ヘロインを覚えたときと同じ環境がそこにあるのだから、たちまちヘロインへの欲求を抑えることができなくなり、もとに戻ってしまうのだ。

行動嗜癖の場合もこれで簡単に説明できる。なにか癖になる行動で幸福感を覚えると、その行動が記憶にインプットされ、同じ状況に置かれるとその行為をしたくなり、抑えられないのだ。

ギャンブルもそうだし、過度なメールチェック、SNS、ゲームも同じなのだ。だからある意味、止めるには環境を変えればいい。問題は、テクノロジー系の依存症の場合、そこから逃れるすべはないということだ。

現代ではインターネットを使わないと仕事ができない。だからメール依存症の人は逃れるすべがない。

ここにさらに社会性が絡んでくる。何しろ、友達がそこにいるのだから、ゲームもメールも止められるわけがない。

ゲーム依存症になってしまった人の話が出てくる。何ヶ月も一歩も部屋の外に出ずにゲームをやり続けた。反省し、4週間の更生プログラムを受けて、依存症から脱出することができた。もう大丈夫と思って、かつて過ごした部屋に入った途端、またネトゲ廃人に戻ってしまったのだ。この人はもう一度プログラムを行い、今度は以前と違うところに住むことでようやくゲーム依存症から逃れることができた。

さて、そうなると、なぜわしが依存症になりながらなんとかやっているのかがようやく分かる。わしの場合は「時間」だ。何しろ、市場が開いているのは、9時から15時までだ。そのほかの時間は閉まっているから、他のことをする以外にない。

これでアメリカ市場やFXなんかをやってる人は、本当に24時間を捧げることになってしまうのだろう。わしは、とてもそんな時間はない、という理由で、外国株やFXには手を出していない。もしもやっていたら、わしはきっと本当に人生をだめにしたかもしれない。(いや、じつはいつでも始められるようにはしているのだ。つまり口座は開設してる。困ったことに、クリックして口座を申し込むのはとても簡単だ)。

そして土日は完全に休息が約束されている。結構なことだ。

わしはよく日本は祝日が多すぎると文句を言っていた。祝日は、市場が開いていない。外国市場は動いているのに、日本がこんなに休みがあっていいのか、休みの日にも市場が開いていればいいのに、とよく思っていたものだ。

そうしたら、次のような記事が目に飛び込んでた。

〈株・商品先物、祝日も取引 日本取引所、欧米並み日数に〉

先物だけですが、祝日という概念がなくなるようだ。個別株も取引できるようになれば、わしの依存症はさらに深まるだろう。

そうそう、わしは他にも中毒があって、かなり活字中毒です。分かってるって? あそう。

★★★★☆

 


僕らはそれに抵抗できない

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