シェリー・ケーガン 柴田裕之・訳 文響社 2018年10月5日
読書日:2020年1月6日
(注意:今回読んだのは短縮版)
「死」がテーマの哲学の本なのだが、読んで驚いたのは、死については語るべきことがこんなに多いのか、ということである。まあ、哲学とは死について考えること、という人もいるくらいだから、哲学者が死について語りだすと、いくらでも細かな問題が出てきそうである。
そもそもどういう状態になったら死んだと言えるのか、そのへんも考え出すと曖昧模糊としてきて、生と死の間には無限の段階があるかのごとくである。
死を体験できるのはその人だけとか、死ぬときは独り、とか言うけれど、死んだら何も体験できないのだからそもそも死を体験するって原理的にありえないとか、いろいろ問題が発生する。
そして、他にもざっとこんなことが語られる。
・そもそも死が悪いことなのかどうか、どうやって判断するのか。
・死が怖いとしたら、なぜ怖いのか。
・永遠に生きられたら(不死)、それは素晴らしいことなのか。
・生きている時間が人によって違うのは不公平なのか。
・死ぬとわかっているのだとしたら、どう生きれば有意義なのか。
・そして、自殺をどう考えるのか。
こんなことが次々難題として浮かび上がってくるのである。
個人的には、死についてはなるべくシンプルに考えたい。死ぬこととは単に死ぬこと。死んだら存在しなくなるだけのこと。このくらいのシンプルさでいきたいものである。
結局、自分がいつ死ぬのかほとんどの場合分からないのだから、明日も来週も来年も生きていると仮定して生きていっていいのではないか。そして死ぬときに、わーっ、いま死ぬんだ、と、ちょっとびっくりして死ぬぐらいでちょうどいいのではないか。
そういうわけで、結局、わしが言いたいのはこういうことだ。
死ぬ最期の瞬間まで、生きろ!
誰もがこの目標を達成できることは、まず間違いありません。よかったよかった。
★★★★☆