革命とサブカル  -「あの時代」と「いま」をつなぐ議論の旅

安彦良和 言視舎 2018.10
読書日:2019.11.10

安彦良和学生運動崩れであることは、「原点」を読んで初めて知った。

安彦良和の仲間たち、弘前大学学生運動のリーダーたちは、安田講堂にも参加したし、そればかりか赤軍派にも加わり、壮絶な人生を送っている。そのような強烈な学生運動を過ごして弘前大学を中退した安彦良和は、アニメの世界に職を見つけ、サブカルの世界に入っていく。

学生運動の時代のあと、まったく政治の抜けた時代がやってきて、安彦良和は戸惑ってしまう。その後、数十年がたって、最近また若者が街頭デモに参加するような時代が来たそうで(そうだったのか)、そうするとその中間のサブカル時代がいったい何だったのかという疑問が生じたらしい。

この本は、安彦良和が、当時の仲間と議論をしてあの頃を振り返るとともに、その次に訪れたサブカルの時代との関係を探るものである。当時の仲間との議論は、これは氏の長年の宿題だったのだろう。ようやく宿題を仕上げることができたという安堵のようなものが、本からあふれている。

さて、これを読んでわしは何を考えただろうか。安彦良和にもその仲間の感覚にまったくついていけず、戸惑うばかりだった、というのが実感である。どうしてそういう発想になるのか、さっぱり共感できない。昔の事件のことはしょうがない。だってその時代を知らないんだから。ところが、最近の事件、例えばシンガポールで行われた、トランプと金正恩との第1回会談に関する安彦良和の感想を読んでも、これがまったく異質の発想で、戸惑ってしまう。

--安倍首相や菅官房長官は今夜はヤケ酒でも呑みたい気分なのではなか。/これはいい兆候である。/日米関係が嘘臭い蜜月から破綻に向かう前兆である。

なんでこんな発想になるのか理解できない(苦笑)。普通は地政学的な発想で今後どうなるか考えるんじゃないの? 左の皆さんは世界を見るときに独特のフィルターがかかっているとしか思えない。彼らの願望のフィルターは強すぎる。(とほほ)

さて、安彦良和は文系だが、仲間のほとんどは理科系である。つまり、マルクス主義には理科系の人間がハマったっということなのだろう。マルクス主義はなんとなく科学っぽい装いをしているからだと思われる。この辺はオウムとよく似ている。

ところが、理科系のはずの彼らからはテクノロジーを起点とした発想がまったく感じられず、戸惑ってしまう。わしなんかが未来のことを考えるときには、テクノロジーが今後どのように発展していくかを考えて、未来がどうなるかを想像する。でも、そういうところが、学生運動の人たちにはあまりないようなのだ。そのへんのところがどうも理解できない。

そういうわけで、まったく理解できない異質の発想をする人たちが昔いたのだ。昔と言ってもついこの間の話だ。というか、彼らは今もいる。世代が違うと言ってしまえばそれまでだが、そんなに遠い昔のことでもないのに、ここまで理解できないのはなんとなくショックだ。もちろん、言葉は理解できるのだが、同じ日本人とは思えないほどだ。ある意味、絶滅危惧種なのだろうか。

さて、安彦良和サブカルの理解であるが、彼の意見では、その前の学生運動の時代からサブカルは入っていたということらしい。学生運動の人たちが、マンガを盛んに読んでいたのは、よく知られた話である。そして、そこから政治がすっぽりと抜け落ちてしまったのが、その後のサブカルの時代ということになるらしい。

安彦良和によると、あの宮崎駿も純然たる共産主義者らしい。しかし宮崎駿は圧倒的な技術でそれを覆い隠しているのだという。また沖縄は、完全に日本とは違う国で、その境は与論島奄美の間にあり、しかも奄美はかつて沖縄に攻められてひどい目にあったのだそうだ。この辺は納得できた。

安彦良和の仲間の一人に植垣康博という人がいて、連合赤軍語り部になっているという。この人の本は面白いかもしれない。

そういうわけで、わしは共産主義を信じる人はいると理解しても、彼らの発想自体はまったく理解できないのでした。理解できない人たちがいたというのがそれなりに面白かったので、★は4です。

★★★★☆

 


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