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マネーの魔術史 :支配者はなぜ「金融緩和」に魅せられるのか (新潮選書)

野口悠紀雄 新潮社 2019年5月22日
読書日:2019年6月5日


野口悠紀雄は信頼できる経済学者の一人だ。彼はどんな議論でもできる限り1次資料にあたり、自分の頭を使った議論を展開するからだ。こういう人はありがたい限りである。

今回のこの本の執筆動機は、もちろん日銀の異次元金融緩和にある。異次元金融緩和については、これまでの著作でも触れられていたが(もちろん批判的)、今回は歴史に目を向けたところが特徴がある。

金融緩和は現代に始まったわけではなく、歴史上、常につきまとった問題だ。国家がなにか事業を行うと、その財源をどのように手当するかというマネーの問題が発生する。特に戦争という事業は莫大なマネーが必要になり、そのファイナンスは大問題となる。

民間企業なら銀行や社債で借金を積むしかないが、国家の場合は民間企業にできないことができる。つまり通貨の発行だ。通貨の発行を野口氏は「マネーの魔術」と呼ぶ。

歴史を見れば分かるように、マネーの発行は国家に限るものではない。この本でも民間銀行が通貨を発行していた時代のことに触れているが、まあ、参考程度でいいだろう。現代では、国家以外が通貨を発行する状況は、ほとんど無視していい。

で、通貨の発行というマネーの魔術を駆使すると、インフレが生じ破綻するというのがお決まりの展開だが、うまくファイナンスができる場合もあり、けっこういろいろなパターンがある。

例えば、ナポレオン戦争当時のイギリスはGDPの2倍以上の国債を発行した。この結果、60%のインフレが起きているが、戦争が終わると物価は下落し、結局もとに戻っているという。発行した国債は償還期限のないものだったから、国債の発行残高(=通貨の発行残高)は高いままだったはずである。なのに、物価は下がっているのである。

なぜそうなったかについては野口さんは答えていない。ただ、インフレによってイギリス国民はインフレ税を収奪されたが、フランスの略奪に依存したファイナンスよりは持続可能だったと答えるのみである。ともかくインフレ状態は国民には辛いかもしれないが、持続可能らしい。

有名なドイツのハイパーインフレについても述べられているが、野口さんの説明を読んでいると、そもそもこのインフレは防ぐことができたのではないかという気になる。中央銀行の総裁がバカだっただけで。

さて、このように歴史を振り返って、いまの日銀の金融緩和について、野口さんはどうまとめているのであろうか。

国が発行した国債を日銀は民間銀行から買い集めて、事実上の日銀引受状態になっている。国債は日銀当座預金に変わり、日銀当座預金は銀行がいつでも引き出せるので、常に日銀銀行券に変わりうる。

日銀銀行券に変わった時点で、通貨(マネーストック)が増えるのでインフレが発生するという。いまはマネーが増えていないので、インフレになっていないだけである。国債が償還期限があるのに対して、日銀当座預金は瞬時に通貨が増える可能性があるわけだ。

しかし、このように批判するのはどうも変である。だって日銀はそのようにして、いまインフレをなんとか起こそうとしているのである。インフレが起こっていないのが問題なのに、インフレになるからだめというのは変である。

結局、インフレが起こるのは間違いないとして、それが目標の2%に収まると考えるか、それ以上になってコントロールができないと考えるかの違いにしかならない。

超高齢化に対応しようとして、財政が破綻するのはほぼ確実だと野口さんはいう。結局、ここに尽きる。社会福祉で破綻が確実だと信じるかどうかである。破綻すると信じるなら、ハイパーインフレが発生し、ファイナンスがなんとか可能ならそれは起こらない、ということだ。

もちろん、超高齢化社会に対するファイナンスの見通しは立っていない。しかし、わしは「確実に破綻する」と単純に決めつけるのは、どうも思考停止に思えてならない。

この辺の議論はきっと野口さんのこれまでの本でなされているだろうから、機会を見て、読んでみたい。どうも納得がいかないので。

金融緩和だけで、日本が立ち直ることはないというのはその通りだと思う。なにか創造的なものが必要だ。これだけは政府や日銀がコントロールできるものではないので、創造的な傾向を助長するようなことをするしかない。その意味でも日銀のいまの政策は、あった方がいいと思う。

★★★★☆


マネーの魔術史 :支配者はなぜ「金融緩和」に魅せられるのか (新潮選書)

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